farisuの真実の紐解き

「預言者mebiusu」の息子の「真実の紐解き」のブログです。

「真のお父様が夜の神様から管理を受けられなくなる時」

今回はFarisuの投稿です。
どうなることやら。サンクチュアリーの方のブログに関して、投稿するのは、最後にしたいと思います。


ブログ「愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと」のタイトル「真のお父様の誕生が無原罪か有原罪かを問うとは滑稽です!聖誕時から神様が臨在されているのです!


を読んで、ブログ主さんが自覚あるかどうかは、わかりませんが、微妙に「原理」理解ががずれていて、そのことに気づかず、ご自分の見解が正しいと信じきっていて、そのずれた見解が、あたかも正しいと思ってしまう読者の方も多くいるのではないかと思います。
サンクチュアリーの方に多くおられるのではないかと思いますが、二代王である「亨進様」が、そのブログ主さんの見解を受け入れられているか、「容認」され、指導されていないかと思われますが、私の見解をシンプルにお伝えしたいと思います。


『夜の神様と呼ばれる神様本体は、女性として現れる要素は備えていても、母性は時空間の被造世界を通してしか現れない実感の心情なのです。それも、神様本体の「愛から生まれた」と実感した体験が素になっていますが、神様本体自身では時空を持たないので生命を誕生させることはできないのです。そこで、千辛万苦の末に構築した心情エネルギーの働きこそ、聖霊であり、心情エネルギーに込めた夜の神様の目的を中心として呼ぶ時には「昼の神様」となるのです。
つまり、夜の神様である神様本体は、「天の父母様」では有り得ないのです。一人でも「真の父母」である真のお父様が私たちの父であるように、神様本体は私たちの父なのです。「天のお父様」です。』


独自の見解を述べられるのは、自由です。


『神様である神様本体は、「天の父母様」では有り得ないのです。』


「地上天国は実体の真の父母と共に暮らす所であり、天上天国は永遠なる霊的な『神様父母』と共に暮らす所です。…アダム・エバが天上天国に上がっていけば、彼らが神様の位置に立つのです。そうして神様が、実体を着たアダム・エバの体として変化した、霊的な主体的主人公として現れるようになるのです。霊界に行くようになれば、『神様お父様』だけいるのではないのです。『神様お母様』がいるようになる、ということです。お母さん、お父さんなしに生命体が生まれ得ますか?そのようなお母さん、お父さんのように、アダム・エバの背後には、神様が分かれて出てきて、一つになっているのです」(1977.1.1)


御父様の御言葉によると、


「地上天国は実体の真の父母と共に暮らす所であり、天上天国は永遠なる霊的な『神様父母』と共に暮らす所です。」


「アダム・エバが天上天国に上がっていけば、彼らが神様の位置に立つのです。そうして神様が、実体を着たアダム・エバの体として変化した、霊的な主体的主人公として現れるようになるのです。霊界に行くようになれば、『神様お父様』だけいるのではないのです。『神様お母様』がいるようになる、ということです。」


とありますので、


『神様である神様本体は、「天の父母様」では有り得ないのです。』


という原理的見解は、明かに、間違いです。


一人でも「真の父母」である真のお父様が私たちの父であるように、


は、御父様の御言葉ですが、


この場合の「真の父母」を文字通りに受け取るのは、問題があります。


「真の父母」=「親)という概念で捉えるべきです。


「真の父母」は「真の父と母」の「総称」の呼び名です。


御父様が、どんなに頑張ったとしても、「御父様」お1人では、「真の父母」にはなれません。


御父様には、「真の母」が、必要で、御父様が、「真の父母」となりえるための「絶対条件」は、「真の母」が存在することです。


『一人でも「真の父母」である真のお父様が私たちの父であるように、神様本体は私たちの父なのです。「天のお父様」です。』


という見解は、いわゆるこじ付けで、間違っています。


創造原理を正しく理解し、御父様の御言葉を曲解しなければ、


「アダム・エバが天上天国に上がっていけば、彼らが神様の位置に立つのです。そうして神様が、実体を着たアダム・エバの体として変化した、霊的な主体的主人公として現れるようになるのです。霊界に行くようになれば、『神様お父様』だけいるのではないのです。『神様お母様』がいるようになる、ということです。」


と言うことになります。


天上世界での神様の「創造目的」となります。


イエス様は、「相対者」を得ることができなかったので、「真の父母」になることができませんでした。「霊界」も「パラダイス(楽園)」にいくことしかできませんでした。


イエス様が、相対を得て、「真の父母」として地上に立つことができれば、「天国」がその時すぐに実現されることがなかったとしても、「イエス様御夫妻」が「霊界」においての「真の父母」すなわち、『神様お父様』と『神様お母様』の立場にたち、「天の父母様」となられたと思われます。


このことから、「御父様」が「再臨主」であり地上で「真の父母」の立場となることができたとしても、「真の父母」の立場を維持することができず、「真の父母」が破綻してしまったとしたら、「御父様」の心に、神様が臨在していたとしても、御父様は、「天の父母」になることはできないと言うことが解かります。


盲目的信仰で、「原理」関係無しに、「御父様」が「真の母」もいない状態でも「御父様」お1人でも、「真の父母」なんだから、御父様お1人でも「天国」に入ることもできるし、「天の父母」になることができるという理屈を言ったとしても、無意味なことです。


『夜の神様と呼ばれる神様本体は、女性として現れる要素は備えていても、母性は時空間の被造世界を通してしか現れない実感の心情なのです。』


という見解は、「原理理解不足」で、「夜の神様」が、永遠なる「霊界(天上)」で、『神様お父様』だけではなく、「天の父母様」となるためには、「昼の神様」が、地上で
完成し、「霊界(天上)」にあがる必要があり、アダムを通して、『神様お父様』として、顕現し、「昼の神様」の象徴である「エバ」が、「エバ」を通して『神様お母様』として、顕現される、つまり、目に見えない「夜の神様」も「昼の神様」も地上においては、「アダムとエバ」という「有形実体」の体を持ち、霊界においても、「アダムとエバ」の体(無形実体)を持ち、子女たちと永遠なる世界での交流を実現すると言うのが、神様の創造目的で、その目的を実現するために、「昼の神様」が「絶対必須条件」となるわけです。


なぜ、神様が、被造世界を創造し、アダムとエバを創造したのか、
究極の創造目的を知る必要があります。


「真の父母」が地上に実現されたことが、どれほど、神様にとって喜ばしいことあったかと思いますが、地上の次に、天上に「真の父母」を実現しなければ、神様の創造目的は、成就されません。


「御父様」だけでは、「天上世界」での「真の父母」になれないのです。


このことは、神様にとって、非常に重大なことで、「真の父母の破綻」は、神様にとって、「絶望の極致」であることは、間違いないことです。


御父様だけでは、イエス様と同じく、「天国」に入ることも、「天の父母」になることもできません。


「真の父母の破綻」がもたらす結果は、本当に「深刻」であるわけです。


「昼の神様」を「千辛万苦の末に構築した心情エネルギーの働きこそ、聖霊であり、心情エネルギーに込めた夜の神様の目的を中心として呼ぶ時には「昼の神様」となるのです。」と言及されていますが、その見解は、「昼の神様」の本質を捉えておらず、現象面を捉えているに過ぎません。


そもそも、本来、語られる必要のなかった「夜の神様・昼の神様」を、あれこれと、分析すること自体、ナンセンスです。


最期に、


「真のお父様は夜の神様に管理を受ける」


という御言葉に対して、私の見解を述べます。


アダムはどうだったのでしょう?


イエス様は、どうだったんでしょう?


アダムは、無原罪の状態で生まれてきたので、生まれたときから、アダムの「生心」に神様が「臨在」していたでしょうか。


「個性完成」は、生まれたばかりで、実現されるでしょうか。


原理では、第一祝福「個性完成(人格完成)」にいたるまでの生長期間、つまり、時間性が伴うことを言われていますが、「御父様」だけが特別で、生まれてすぐに第一祝福“個性完成が実現されてしまうと言う見解は、受け入れがたいのではないでしょうか。


無原罪で生まれてきた「アダム」も「イエス様」も生まれたときから、「生心」に神様が臨在されていたと言う見解は、非原理的です。「神様」からの人間の戒め自体が必要なくなってしまいます。


「真のお父様」も成長して「個性完成(人格完成)」に至って、はじめて、神様が臨在されるのではないでしょうか。


「無原罪」と「個性完成(神様が「生心」に臨在される)」は、別問題ではないでしょうか。


また、創造本然の世界では、サタンが存在しませんが、堕落世界においては、「個性完成(神様が「生心」に臨在される)」を維持するという問題が生まれるのではないでしょうか。


「真の御父様」が、「夜の神様」の管理を受けていたとしても、第3アダムとして地上に降臨され、「真の父母」を実現したとしても、その「真の父母」の立場を維持することができず、「破綻」してしまわれたら、どうでしょう。


一方的に「お母様」のせいにすることが「肯定」されることでしょうか。


「夫婦の破綻」を一方的に、妻のせいにして、自分は、全く正しく問題ないと言い張ることは、この世的にも、おかしなことではないですか。


ご自分は、直接、「夜の神様」の管理を受けているので、問題ない。悪いのは、「お母様」であると御父様が主張されたら、私なら、幻滅します。


たとえ、御父様に何の非がないとしても、


「真のお父様は夜の神様に管理を受ける」


というようなご自分の正当化とも取れるような御言葉は、語るべきではないのではないでしょうか。


語らざるを得ない事情が、そこにあったのではないかと思いますが、その事情を推し量ることなく、その御言葉だけを持って、「御父様」は、お1人でも「天国」にいけるような非原理的なことが、当然のごとく受け入れられるようになったら、「サタン」がはびこることにつながります。


「サタン」が、「御父様の御言葉」を利用するという懸念が、とても、強く持っています。


アダムもイエス様も、結局は、
「夜の神様から管理を受けられなく」なってしまったのではないでしょうか。


「夜の神と昼の神とがある。そして夜の神は間違いを犯さなかった。身体の神としての昼の神が堕落した。夜の神が男性であるとしたら、昼の神は女性だ。そして彼女が堕落した。エバは神の弟にまたがった。そしてアダムの年下のいとこが事態を逆さまにしてしまった。そのような原理はないし、創造のプログラムの中にそれは見当たらない。昼の神は女である。女が神の弟の腹の上のまたがり、彼を堕落させたのだ。その過程において、彼女は下になり、神の弟を自分の上に乗せ、そして彼女は種を受けた。しかし彼らの子供たちは狂った者の子供たちで、彼らは天国へ行くことができない。事態をどう再逆転すべきかを誰も知らない。ただレバレンド・ムーンだけが知っている。天地人真の父母によって、夜の神と昼の神は解放された。どうして被造物が創造主を解放できるのか? どうしてそんなことが起こり得るのか?」 (2012年1月11日江原道のホバン室内競技場で行われたお父様のスピーチの中で語られたお父様のコメント)


「夜の神と昼の神とがある。そして夜の神は間違いを犯さなかった。」


と語られ、


「身体の神としての昼の神が堕落した。夜の神が男性であるとしたら、昼の神は女性だ。」


と語られました。(この御言葉を語られたために、該当者が、御父様を霊界に送ろうと動き出しました)


また、


「ただレバレンド・ムーンだけが知っている。天地人真の父母によって、夜の神と昼の神は解放された。」


と語られました。


しかし、この御言葉は、実現されていないと思います。


この御言葉を実現されていない(できなかった)、御父様は、果たして、


「夜の神様に管理を受ける」ことができるでしょうか。


「御父様」が「責任分担」を果たそうと果たさないとしても、


「真のお父様は夜の神様に管理を受ける」


と言うのは、非論理的で、盲目的信仰と言わざるを得ません。




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