farisuの真実の紐解き

「預言者mebiusu」の息子の「真実の紐解き」のブログです。

郭先生の「事必帰正」は、お母様への未練を語られている

記事を書くのをもうやめたと、思っていましたが、気が変わり、書きたい時に書くということで、私の投稿に関心のある方は、お読みください。私が、3男派という方が多いですが、違います。


なので、三男派の方が言われるように、優等生が語る内容とは、かなり違うと思ってください。
三男派の方の主張は、絶対、言及してはいけないことを踏まえています。


私も、せっかく購入したので、少しずつ、読んでいますが、郭先生も同じで、語れる「真実」を語っていますが、語られない「真実」を語ろうとされていないように読んでみて、そう思います。


郭先生の「事必帰正」は、語れる「真実」を皆さんに語ることが目的に書かれた本であると思います。


サイト「摂理的葛藤に対する真の視角と理解」にある記事を読んで見れば、郭先生の大半の内容と一致しています。当然、そのサイトの記事とすり合わせをして、書かれているいように思われます。


実際何が起きたのかを知るには、郭先生の「事必帰正」の本も、サイト「摂理的葛藤に対する真の視角と理解」もとても有効な手段であると思います。


郭先生の「事必帰正」をある程度ですが、読んだ率直な感想は、表面的で、本質に迫ろうとされていないか、本質が解からないのか、解かっていても、語れない内容であると思われ、少し、失望しました。


何も知らない家庭連合やサンクチュアリー協会の方が読めば、かなり説得力がある内容となっていますが、


例えば、お母様が、御父様に反旗をひるがえした、本質的動機までは考察していません。


なぜ、御父様が、「顕進様」を「後継者」とされようとした意義も表面的な理解と思えてしまいます。


読めば読むほど、郭先生のお母様に対しての「失望の念」を強く感じざるを得ません。


お母様が、「真の母としての位相」を取り戻すことへの「願い」とともに、それは、未来に対しての「お母様への未練」となっておられることがひしひしと伝わってきます。


ここからは、デマかも知れませんが、ある方から聞いた内容に関連した「mebiusu」が主張してきた、「先代の真の父母の破綻に伴い」、御父様の血統を受け継いだ長子の立場である、「顕進様」が、「真の父母」として地上に立つ意向があるということ、そのことに対し、「全淑様」が葛藤されているということに関して、すでに、5年前から投稿で示唆していた内容を、ご紹介したいと思います。


全くのデマかも知れませんが、私は、デマではないと思っています。


今回の記事は、2017-10-21に投稿した、『「聖霊」と「全淑オモニ」の関係』をご紹介したいと思います。


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以前、投稿「お母様から聖霊が離れた可能性」で、



『「原理講論」の第七章 キリスト論、第四節 重生論と三位一体論 の(一)重生論 (1) 重生の使命から見たイエスと聖霊 に、



「罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。」
「聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、」


と書かれています。



イエス様が十字架に架からなければ、イエス様のときに、聖霊は真の母として地上にこられていたわけですが、イエス様が十字架に架かってしまったために、「聖霊」が霊的母という立場に立ちイエス様と聖霊が霊的真の父母という立場に立ったということです。


ということは、そのとき地上にいた聖霊の使命を持たれていた女性から聖霊は抜けて、霊界に存在するようになったということが考えられます。』


と書きました。


お母様は、「真のお母様」の立場に立たれ、「聖霊の実体」となられました。


投稿『「聖霊」はお母様の「生心」に臨在していた』に、


「原理講論」の第一章 創造原理、第六節 人間を中心とする無形実体世界と有形実体世界、(三) 肉身と霊人体との相対的関係 、(2) 霊人体の構成とその機能に、


「この霊人体は生心(主体)と霊体(対象)の二性性相からなっている。そして生心というのは、神が臨在される霊人体の中心部分をいうのである。」


と書かれていますので、


女性神である「聖霊」は霊人体の「生心」に臨在するということです。


真のお母様が「聖霊」実体であるというという意味は、真のお母様の霊人体の「生心」に「聖霊」が臨在されているということであるということです。



お母様が、現在も「聖霊の実体」であられるのかどうかに対して、私は、懐疑的です。


一連の「独生女」のお母様の御言葉もそうですが、「お母様と金孝律氏」との脱線問題や、「御父様の御聖和」の対する「お母様のかかわりに対する疑惑」等から、また、御父様後聖和後、「神様」を「天の御父様」から「天の父母様」へと呼び名を変更されたことなどから、


現在では、お母様の「生心」に「聖霊」は御臨在されていない可能性が高いと思われます。


聖霊の実体である「真の母」の「生心」に「聖霊」は御臨在されていないということは、「お母様」が「真の母」の立場を喪失されていると言うことになります。


第3アダムとして来られた「お父様」に失敗は許されないとよく聞かされましたが、
「基元節」を迎えられる前に「御聖和」された経緯を見ても、「御父様とお母様ご夫婦の真の父母」は、残念ながら「破綻された」と言わざるを得ません。


「真の父母」は「一組」とお父様が語られましたが、その「真の父母」が、失敗されたら、神様は、どうされるでしょうか。


復帰摂理を通し、示されて来られたように、神様は、新たな「真の父母」を立てられて御旨を成就されようとすることを理解しています。


第二節 復帰基台摂理時代の代数とその年数の形成」の(三) 縦からなる横的な蕩減復帰に、


『アブラハムのときは、「メシヤのための家庭的な基台」を復帰するための摂理において、第三次に該当するときであった。したがって、そのときは、必ずそのみ旨を成し遂げなければならない原理的な条件のもとにあったので、アブラハムは、アダムの家庭とノアの家庭の過ちによって加重されてきたすべての縦的な蕩減条件を、一時に、横的に蕩減復帰しなければならなかったのである。しかし、アブラハムは、「象徴献祭」で失敗したので、その使命をその次の代に延長しなければならなくなっていた。そこで、神は、既に失敗したアブラハムを、失敗しなかったと同じ立場に立たせ、また、それによって縦的に延長される復帰摂理も、延長されないで、横的に蕩減復帰されたと同じ立場に立たせなければならなかったのである。神はこのような摂理をなさるために、既に、アブラハムを中心とした復帰摂理のところで詳述したように、アブラハムとイサクとヤコブが、各々その個体は互いに違うが、み旨を中心として見れば、完全な一体として、蕩減条件を立てるように摂理されたのである。このように、アブラハムとイサク、ヤコブは、み旨から見れば、完全に一体となったので、ヤコブの成功は、すなわち、イサクの成功であり、また、アブラハムの成功でもあったのである。それゆえに、アブラハムを中心としたみ旨は、縦的に、イサクとヤコブに延長されたけれども、結局み旨を中心として見れば、それは延長されないで、アブラハムを中心として横的に蕩減復帰されたのと同じ結果になったのである。
 ゆえに、アブラハム、イサク、ヤコブは、み旨を中心とした側面においては、アブラハム一人のように見なけれはならない。したがって、そのみ旨は、アブラハム一代において成就されたと同じ立場であったのである。出エジプト記三章6節に、神が「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と言われたのは、このような観点から、彼ら三代は一体であるという事実を立証されたといえるのである。
 このように、アブラハムが、彼の「象徴献祭」の失敗により、彼自身を中心として横的な蕩減条件を立てられなくなったとき、縦的に、イサクとヤコブの三代に延長しながら立てた、縦的な蕩減条件を、結局、アブラハムを中心として、一代で横的に蕩減復帰したのと同じ立場に立たせたので、これを、縦からなる横的な蕩減復帰というのである。』



「顕進様」は、「お母様」を「真の母」の位置に立てるよう目指しておられるようですが、外的基盤の上に立たれるお母様よりも、「お母様」の「生心」に「聖霊」が戻り、臨在できるようにお母さまのご心情が、「復帰」されなければならないと思われます。


神様は、どのような状況を願っておられるのでしょうか。


「御父様とお母様」は、地上にはじめて、実在することができた「真の父母」です。


しかし、様々な事情により、「破綻」されてしまいました。


一数的存在の「真の父母」は失敗されました。しかし、「真のご家庭(御子女様)」を地上に実現されるこという歴史的功績を立てられました。


しかし、2数的存在「真の父母」、3数的存在の「真の父母」という「蕩減復帰」の道は、残されています。


『破綻された一数的存在の「真の父母』の「蕩減復帰」は、どのようにされるのでしょうか。


私は、「真の父母」の「復帰」は、「真の父母」によってなされる、と思っています。


それは、「真のご家庭」が地上に実現したために、神様が、「真の父母の復帰摂理」を起こすことができるのだと理解しています。


サタンは、そのことをよく知っているので、7男の「亨進様ご夫妻」が「真の父母」の立場に立っていると主張されているわけです。


「天使長の血統圏の御子女様」では、神様の御心に叶う「真の父母復帰」は、実現されません。


特別な使命を持たれて生まれてこられた「お父様の血統を受け継ぐ「顕進様ご夫妻」が、「真の父母復帰」を担当される摂理的使命者となられると思います。


今回のタイトルは、『「聖霊」と「全淑オモニ」の関係』です。


「真の父母復帰」を担当される「顕進様ご夫妻」は、新たな「真の父母」となられます。


「全淑オモニ」は、「真の母」となる御使命(責任分担)をお持ちであると思いますが、


本来「御父様と第一のお母様」が「真の父母」になり、「崔先吉女史」が「聖霊の実体」となられる予定でしたが、「摂理の失敗」により、「現在のお母様」が「真の父母の真の母」となられました。


有史以来はじめての「真の父母」が地上に実現され、「真のご家庭」が実現されました。


「真の父母」が地上に実現され、「真のご家庭」が実現されたにもかかわらず、「御父様と第一のお母様」の摂理の破綻により、その蕩減を受け、「御父様とお母様」の「真の父母」も「破綻」してしまうという神様も当然予期されていたと思いますが、何とか、一代目の「真の父母」が御使命を全うされることを願われていたと思います。


「真のご家庭の長子の立場である「顕進様」と奥様「全淑様」が、「真の父母復帰」を実現するために、「真の父母」となられるのであるならば、


「聖霊」は、「全淑オモニ」の「生心」に臨在されるようになり、「全淑オモニ」は、「聖霊の実体」となられます。


その資格はあるのかと言う問題がありますが、


それは、「神様」が決めることであると思います。


「聖霊」は、「女性神」と言われますが、その「聖霊」は、「全淑オモニ」の「生心」にすでに、御臨在されていると私は、思っています。


「全淑オモニ」は、「お母様の人生」を見ておりますので、「聖霊」を迎えて、「真の母」となられることを拒絶されたいと思われると思いますが、


神様は、「全淑オモニ」に願いを託したいと思われていることは間違いないと私の心に訴えます。



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郭先生の「お母様」への未練は、断たれるべきであると思います。


なぜかというと、


神様の御心が、そこにはないからです。


『「お母様」への未練』をすっぱり断ち切らないと、
神様が負った「深い傷口」は、ますます、開いてしまいます。




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