farisuの真実の紐解き

「預言者mebiusu」の息子の「真実の紐解き」のブログです。

「顯進様」がお生まれになられた直後に発生した、「天宙史的葛藤」!!

昨日の投稿『「天宙史的葛藤」は、「顯進様」がお生まれになれれた時から、始まっていた!!』の続きを書きたいと思います。


1998年7月19日、顯進様の世界平和統一家庭連合世界副会長任命式において、


「顕進は、アボジより美男だし、力もあるし、男らしく勇気もある。顕進はMBAをもってRev. Moonが失敗した事業に専門性をもつ(ので)感謝の大王になる。UTSを卒業して世界を担う神学者にもなるだろう。顯進は、これからアボジよりも百倍ではない、千倍、万倍優れることを願い、希望をもって顕進に任せる」


と祝福されました。


「御父様」に手放しで、祝福を受けられた「顯進様」でしたが、


もちろん、そのような「お方」になられたのは、「顯進様」の御努力があったことは、間違いの無いことだと思います。


しかし、「顯進様」に与えられた「個性」「能力」「カリスマ性」は、「顯進様」がご自身で、培われたものかというと、やはり、背景には、「神様」、「御父様」、「お母様」の勝利的条件が、深く関わっていると思われます。


「イエス様」も「御父様」も個人だけの力だけではなく、天から与えられた「天稟」というものが大きく関わっていると私は、思います。


「顕進は、アボジより美男だし、力もあるし、男らしく勇気もある。顕進はMBAをもってRev. Moonが失敗した事業に専門性をもつ(ので)感謝の大王になる。UTSを卒業して世界を担う神学者にもなるだろう。顯進は、これからアボジよりも百倍ではない、千倍、万倍優れることを願い、希望をもって顕進に任せる」


と「御父様」から「祝福」された「顯進様」は、現在、「真の御家庭の御子女様」として席を外されている状態です。


なぜ、そうなってしまったのか、その原因を探ると、その根源的原因が、「顯進様」の出生の経緯に存在していたことがわかります。


それでは、主観的でもなく、盲目的でもなく、客観的に、「顯進様」の出生の経緯を見ていきましょう。



文誉進 1960年 陰暦3月1日「父母の日」、陰暦10月1日「子女の日」
文孝進 1962年
文恵進 1963年 陰暦5月1日「万物の日」
文仁進 1965年
文興進 1966年
文恩進 1967年 「お母様の7年路程勝利」
    1968年  1月1日「神の日」
文顯進 1969年  ご生誕


が、「顯進様」の出生の経緯です。


「顯進様」がご生誕されるまでに、注目される勝利的条件は、


・「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」、「神の日」の4大名節の制定


・1967年 「お母様の7年路程勝利」


が挙げられると思います。


特に、「お母様の7年路程勝利」の翌年に制定された「神の日」の時のお父様の御言葉は、とても注目する御言葉です。


「神の日」の宣布後


『一九六八年一月一日、「神の日」が決定されました。「神の日」の決定と同時に、地上に神様が臨在される基準が立てられました。したがって、今から統一教会は地上において急速に発展していくことでしょう。そのような基準を立てたので、統一教会は、真理を中心として霊界の解放とともに地上の解放、そして地獄を解放するものとして発展していきます。なぜならば、「神の日」を迎えたその時から地獄が壊滅し、サタンも滅亡せざるを得ない立場に立つからです。それは理論的に正しいのです。それで、「神の日」の決定と同時に、先生の使命は完成されました。


 サタンが神様から奪っていったものを再び取り戻した基準が立てられたので、そこから初めて完成基準を地上に成すことができるようになりました。新郎と新婦がサタンを押しのけて出会ったのです。その一日が神様の念願だったのであり、二千年のキリスト教歴史の目的でした。新郎はイエス様として天を意味し、新婦は女性神として地を意味するのですが、この二人がお互いに出会うことによって、空中の権勢をもっていたサタンが粉砕され、天地が一つになったのです。宗教人の最高の目的を、私たち統一教会が果たしたのです。


 先生が一九六〇年から始めて一九六八年の一月一日を期して「神の日」を宣布する時までの内的受難の路程は、皆さんには分かりません。永遠に分からないはずです。先生は、サタンと対決して家庭的段階へ越えることができる一つの基盤を築いたのです。これは世界史的な勝利です。今ようやく天下を私の指揮下において、神様に向かっていくことができる自由な時代に入ってきたのです。


 「神の日」を決定することによって、今はサタン世界が天国の王権、父母の王権、子女の王権、万物の王権の支配下に入ってきたのです。今からは自分の思いどおりにはできません。「神の日」「父母の日」「子女の日」「万物の日」を備えたので、先生に属したすべてのものを、サタンが略奪していくことはできないというのです。なぜでしょうか。真の父母圏、真の子女圏、真の万物圏に属し、神様に属しているからです。型は小さいですが、これにサタンが手をつけることはできません。手をつけることはできませんが、包囲してすべて死亡の道へ追い込んでいくことはできます。


 なぜでしょうか。家庭が行かなければならない道はどこでしょうか。国家基準を越えてローマまで越えていかなければなりません。アダムは世界統一圏を失ったのであり、統一圏とともに天国と地上の王権を失ってしまったので、世界的水準まで越えていかなければならないのです。


 七年を経て一九六八年正月一日を中心として、このすべての蕩減の道を越えて「神の日」を策定することによって、お母様の権威が生まれ、地上に着陸時代が到来し、世界的進出の出発が始まったのです。氏族基盤の上に立てることができなかったイエス様の新婦基盤を経て、民族基盤を連結し、国家と世界基準を越えることができる七〇年代の三年路程を経て、世界基準を越える蕩減の道を築いていったのです。』


とあります。


『「神の日」の決定と同時に、先生の使命は完成されました。』
『「神の日」を策定することによって、お母様の権威が生まれ、』


と「お父様」は語られました。


・1968年 1月1日「神の日」制定


その一年後の


・1969年4月10日 「顯進様」御生誕


となります。


「真の御家庭の御子女様」は、


文誉進 1960年
文孝進 1962年
文恵進 1963年 
文仁進 1965年
文興進 1966年
文恩進 1967年


と「顯進様」の上にご兄弟がお生まれになっていますが、


「お母様の7年路程勝利」、「4大名節制定」され、


『「神の日」の決定と同時に、先生の使命は完成されました。』
『「神の日」を策定することによって、お母様の権威が生まれ、』


後の翌年(1968年)にお生まれになられた「顯進様」は、


「神様の摂理的勝利」(御父様とお母様の勝利)後、


初の御子女様=「初子」


と言えると思います。


「顯進様」がご成長されて、お父様が認められて、また、長男である「孝進様」、二男である「興進様」が、昇華されたので、3男の「顯進様」が、「摂理的長子の立場」に立たれたわけではなく、御生誕時に、「摂理的初子=長子」の立場にすでに立たれてお生まれになられていたことが解かります。(この点は、主管ではないかといわれるかも知れません。)


理解できましたでしょうか。
歴史的事実を整理してみると上記の内容となります。
上記のことは、私が「捏造」する余地はありません。


また、FPAの方たちが嫌う「神格化」でもありません。FPAの方たちは、「顯進様」の出生の経緯に触れることを私にすれば、「タブー」とされているようですが、私には、全く理解できません。
家庭連合の方たちや、「サンクチュアリー教会」の方たちも拒否できない「歴史的事実」です。


問題は、


「お母様の7年路程勝利」、「4代名節制定」され、


『「神の日」の決定と同時に、先生の使命は完成されました。』
『「神の日」を策定することによって、お母様の権威が生まれ、』


『「神の日」を決定することによって、今はサタン世界が天国の王権、父母の王権、子女の王権、万物の王権の支配下に入ってきたのです。今からは自分の思いどおりにはできません。「神の日」「父母の日」「子女の日」「万物の日」を備えたので、先生に属したすべてのものを、サタンが略奪していくことはできないというのです。』


という「勝利圏」が出来たにも関わらず、なぜ、後に、「顯進様」を巻き込み、「統一家の混乱」を招いた「天宙史的葛藤」が起きてしまったのでしょうか。


今回は、ここまでです。
今回の投稿をよく理解していただければと思います。
よく理解してくださった方は、次回の私の投稿に、驚かれると思います。


続きます。




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