farisuの真実の紐解き

「預言者mebiusu」の息子の「真実の紐解き」のブログです。

真のお母様が「主管性転倒」し、「正午定着」していなかったから、お父様が語られたのです!!

今回の投稿は、「預言者mebiusuの独り言」の『真のお母様が「主管性転倒」し、「正午定着」していなかったから、お父様が語られたのです!!』と『お父様の御言葉「お母様は勝手にしようと思っているのです。!!』をご紹介したいと思います。


・『真のお母様が「主管性転倒」し、「正午定着」していなかったから、お父様が語られたのです!!』


以下に冒頭のブログ記事からのお父様のみ言引用をもう一度見てみましょう。


・ 1999年10月15日
<お父様一人で歩んで来た>


この膨大な内容を先生が全部合わせて、影のないように一人で歩んで来たことを誰か知っている人がいますか?誰も知りません。神様と先生だけが、その次にサタンが知っているのです。エバがこのようなことを知っていたら復帰されていたのに、と言うのです。今、お母様が一人で歩んだらどうしますか。収拾する道理がないのです。お母様も絶対信仰・絶対愛・絶対服従です。自分を中心としてお父様に対する絶対信仰・絶対愛・絶対服従ではありません。それまでお母様は絶対について来なければならないというのです。


[エバがこのようなことを知っていたら復帰されていたのにというのです。今、お母様が一人で出てきたらどうしますか。収拾する道理がありません。お母様も絶対信仰⋅絶対愛⋅絶対服従です。自分を中心としてお父様への絶対信仰⋅絶対愛⋅絶対服従ではありません。


それまでお母様は絶対について来なければならないというのです。<中略>ですから、ここにいるお母様が自分の考えを持って巣をつくるようになれば、問題が大きいというのです。先生はそこに引っかかりません。本当にそうであるならば、それを乗り越えて行きます。山を再び作るというのです。今、完成時代に入って、お母様が責任を果たせなければお母様の後継者はいくらでもいっぱいいるのです ]
み言資料:み言選集312巻177ページ 1999.10.15 ウルグアイ


・これからは、母子協助時代は過ぎ去ったというのです。父子協助時代です。オモニは、息子が大きくなればアボジの後を継ぐので、オモニはついて行けばいいのです。


このみ言を影がなく動く時計と置き換えて見られたらいかがでしょうか!
お父様にお母様が絶対信仰・絶対愛・絶対服従で寄り添って来られたということです。
そこにはお母様の影形も見ることが出来ませんでした。それが「女性時代到来」の宣言までです。


と「奇知外記」というブログを書かれている方が、私の投稿に対して、記事の訂正依頼をされていますが、その方の記事を読むと、お父様の御言葉に対する理解がおかしいと思われます。


原理講論を捨てたUCIグループのmebiusu氏へ--記事訂正を!!


を読んでいただければ、よく解ります。


「この膨大な内容を先生が全部合わせて、影のないように一人で歩んで来たことを誰か知っている人がいますか?誰も知りません。神様と先生だけが、その次にサタンが知っているのです。エバがこのようなことを知っていたら復帰されていたのに、と言うのです。今、お母様が一人で歩んだらどうしますか。収拾する道理がないのです。お母様も絶対信仰・絶対愛・絶対服従です。自分を中心としてお父様に対する絶対信仰・絶対愛・絶対服従ではありません。それまでお母様は絶対について来なければならないというのです。」


という御父様の御言葉をどう理解すれば、


「お父様にお母様が絶対信仰・絶対愛・絶対服従で寄り添って来られたということです。」という見解になるのでしょうか。


「お父様にお母様が絶対信仰・絶対愛・絶対服従で寄り添っていないので、お父様は、お母様に対して。ご忠告されている」御言葉であると私は、理解します。


「今、お母様が一人で出てきたらどうしますか。収拾する道理がありません。お母様も絶対信仰⋅絶対愛⋅絶対服従です。自分を中心としてお父様への絶対信仰⋅絶対愛⋅絶対服従ではありません。


それまでお母様は絶対について来なければならないというのです。<中略>ですから、ここにいるお母様が自分の考えを持って巣をつくるようになれば、問題が大きいというのです。」


という御父様の御言葉も、どうとらえたら、


「お父様にお母様が絶対信仰・絶対愛・絶対服従で寄り添って来られたということです。」という見解になるのでしょうか。


「正午定着」というお父様のみ言葉を上げながら、上記の御言葉が、


お母様が、御父様に対し、「正午定着」し、絶対信仰・絶対愛・絶対服従で寄り添っておられるというという結論を出されていますが、この理解度には、言葉を失ってしまいます。


私の投稿の記事の訂正以前に、上記の御言葉の正常な理解をまず、ブログ主さんがするのが先ではないでしょうか。


「猫がニャー」と鳴いているのに、「犬がワンとほえている」と言っている様なものです。


「犬がワンとほえている」のだから、「猫がニャー」と鳴いているというような「嘘」は訂正してください。と言われても、「白」を「黒」といえないように、「猫」を「「犬」とは言えません。


もし、家庭連合の常識あるシックであるという自覚があるのでしたら、他の家庭連合の方に、一度、今回の論調、見解が正しいのかどうか御確認されることをお勧めします。


ちなみに、


『「この日(1999年6月14日)、真の父母様天宙勝利祝賀宣布表彰碑を、真のお母様に授与された。」
です。


もしも、その後はお母様がバラバラに回っていたとしたらこのような表彰碑を受けることが出来たでしょうか。』


上記のみ言葉<お父様一人で歩んで来た>は、1999年10月15日に語られています。


お母様に「表彰碑」を授与された「1999年6月14日」のわずか、4ヵ月後です。


お母様が、御父様に対し、「正午定着」できず、、絶対信仰・絶対愛・絶対服従で寄り添っておられないので、御父様が、お母様にご忠告の御言葉を語られたということになります。



盲目的信仰もいいでしょうが、もう少し、論理的に御父様の御言葉を理解されることを望みます。



・『お父様の御言葉「お母様は勝手にしようと思っているのです。!!』


ブログ「奇知外記」のブログ主さんから、再度訂正を求められましたが、


まず、「お父様が「正午定着」という言葉を語られたのは2006年ごろからであったはずだ。mebiusu氏の『真のお母様が「主管性転倒」し、「正午定着」していなかったから、お父様が語られたのです!!』は話にならない。」



というブログ主の主張は、御言葉の本質をある程度理解している者にとっては、申し訳ありませんが、とても幼稚な言い分と思われます。



『「正午定着」という言葉を語られたのは2006年ごろからであったはずだ。』


と豪語されていますが、きわめて簡単なことですが、


御父様の原理の概念に、「正午定着」という概念は、2006年ごろに、初めて生まれたものかということです。



御父様が、2006年ごろから、お使いになられた御言葉であるから、それ以前の「お母様」に関して、『「正午定着」していなかったから』表現することが、間違いであると得意になること自体、御父様の御言葉を表面的にしか捉えていないということを自白しているようなものです。



先回のブログ「奇知外記」の記事に対しての私の見解は、ブログ主さんへのまともとは思えない御父様の御言葉の理解度に関して言及したものです。



「この膨大な内容を先生が全部合わせて、影のないように一人で歩んで来たことを誰か知っている人がいますか?誰も知りません。神様と先生だけが、その次にサタンが知っているのです。エバがこのようなことを知っていたら復帰されていたのに、と言うのです。今、お母様が一人で歩んだらどうしますか。収拾する道理がないのです。お母様も絶対信仰・絶対愛・絶対服従です。自分を中心としてお父様に対する絶対信仰・絶対愛・絶対服従ではありません。それまでお母様は絶対について来なければならないというのです。」



や、



「今、お母様が一人で出てきたらどうしますか。収拾する道理がありません。お母様も絶対信仰⋅絶対愛⋅絶対服従です。自分を中心としてお父様への絶対信仰⋅絶対愛⋅絶対服従ではありません。


それまでお母様は絶対について来なければならないというのです。<中略>ですから、ここにいるお母様が自分の考えを持って巣をつくるようになれば、問題が大きいというのです。」


の御父様の御言葉に対して、



「お父様にお母様が絶対信仰・絶対愛・絶対服従で寄り添って来られたということです。」



という御言葉の理解の異常性を指摘させていただきました。



『mebiusu氏への記事訂正、再度の要請をする。
もしも、お母様の「主観性転倒」があったなどといわれるのなら繰り返し(「mebiusuの輪」でなく)、その証拠を出しての反論をお願いする。』



ということなので、紹介します。



上記の御言葉は、すでに、「お母様」の「主観性転倒」(まだ、不従順」次元と言えるかも知れませんが)、に繋がる危険性をご忠告として示されていますが、以下の御言葉も、その類にあたると思います。



[<中略>お母様は勝手にしようと思っているのです。勝手に動こうというのです。お母様はお母様が行きたいように行き、私は私の行きたいように行く⋅⋅というのです。私は朝、どれほど深刻だったでしょう。日の出前の太陽のない真っ暗な世界、電灯が砂浜に映るような、そんな思いで夜明けから発ちました。今日は大変革が起こるだろうというのです。お母様の思ったようにしろというのです。先生の周りにいる孝律から、ついてくるユン・ギビョンから、その次にドンホ!。]
資料:み言選集607巻11~12ページ、2009年1月24日天和宮



[「お母様がいかにして神様の夫人の位置に立つのですか?堕落した女として、どうして真の父母の夫人の位置に立つのですか?真の僕の夫人の位置にも立てず追い出されました。それを殺してしまおうというのにです。そのような人をもって神様の夫人の位置に立てますか?そんなことのできる馬鹿げた行動がどこにありますか?」]
み言選集614巻 - 28ページ「カインとアベルの戦略」2009.7.12天正苑



上記の御言葉は、記録として存在しています。以下の御言葉は、家庭連合が、訓読会時において記録の不許可と記録の公開の拒否によって、「記録」として公的に確認できない状況となっていますが、



・ 2010年11月18日
お母様、仁進様、国進様、亨進様の名前を挙げられながら、”お前たちは裏で組になって私を殺そうとした、私を売り渡そうとした”と語られ、亨進様の頭を叩くようなしぐさをされながら(補佐官らは叩かれなかった)お母様に対しては、


“この女!真の母か?韓鶴子女史か?総裁か?”と語られながら怒りを一時間近く露わにされた。


ピーター金を指しながら“この詐欺師のようなやつが補佐官か?”ユンジョンロ氏を指しながら“この詐欺師め”、朱東文氏を見て“この詐欺師のようなやつ”と叱責された。


ピーター金は顯進様GPFの報告をしながら“ネパール、インドネシアなどのGPF活動は失敗しました。全てだめでリトルエンジェルスの摂理に送って欲しいと言ったそうです”というウソの報告をしたが、お父様は何も語られなかった。


その後のみ言葉で、 “国進!、お前の兄は誰だ?”国進様が、“顯進様です”と答えると “顯進がアベルUNの責任を持たないといけない。ヨーロッパまで。”“天使長ルーシェルも神様が創造した。神様が責任を持たないといけないのだ。”“郭会長の仕事も私が仕事を任せた。私の責任だ”と語られたということです。


11月18日天正宮訓読でお父様が激怒(アルジェリアの分捧王の権ヲンアン氏の報告)
http://ameblo.jp/w-kazoku/entry-10715750841.html



・ 2012年1月19日
1。 "天地人真の父母"はお父様とお母様が二人ではなく一人である。
1)"お父様とお母様が、別々"ではなく、ひとつなのである。
2)お母様はお父様のための足場であり、ご飯を食べて付いて回ったからといって、良しとされるものではない。 3)別々に動いては滅んでしまう。
4)お父様が呼んでも返事しないお母様と共にする者は、清算の対象である。
5)安州(お母様の故郷)と 韓氏(お母様の名字)は、自慢してはいけない!そんなことをしては、母親になれない。 6)私を無視して、お前たちが、私を案山子にしてはいけない!


2。 "天地人真の父母"は、二人が一つとなって、天地の前に現われなければならない。
1)お母様が独自路線を行っている。小鬼だ!
2)お母様は、お父様とは違う別の道を行っている。
3)お前たち(お母様に追従する子女様と、側近幹部、および教会の指導者のこと)も全員、お母様と一団となって違う道を行っている。こいつら!


3。天上(天地人真の父母)は、二人ではない。
1)お母様の心は、お父様と別々に動いている。
2)お父様の知らないお母様が、あってはならない。
3)そんなお母様に従う者は小鬼だ。こいつら!
4)お父様が必要ないと思っている者は角のない小鬼だ。こいつら!


4。神様だけが孤独なお父様と共にいる。
1)お父様の周りには誰もいない。
2)お母様がお父様を待たなければならない、お父様にお母様を待たせるなんて!.............
3)お母様について回るお前たち!ぼろを着てはいけない!


5。 "お父様の話を聞かず"、お母様が"私の言葉を聞きなさい!"とするのは、"ルーシェル" よりももっと恐ろしい存在だ。
1)私は今、一人だ!息子も、娘もいない!
2)お母様も別々に動いて!
3)お母様に従うこいつら!.................
4)孝進が生きている時 -
「お父様がかわいそうだ。お母様はなぜお父様のみ言を聞かないで、自分の方式でするのか?」と私に言ったことがある。


6。今日、宣言する。
1)お母様は今からお父様に絶対服従しなければならない。


・ 2012年1月24日
この日の主行事のうちの一つである聖塩を配分される時、亨進様ご夫妻の他に、突然、式次にもない、黄善祚、梁昌植、2名を東洋圏と西洋圏を代表する食口代表として壇上に上がらせ、ご父母様の前に聖塩の器を持って立つようにした後、


- “君たちは、これからすべてのことを推進するにおいて、先にお父様に報告して指示を受けて決済をもらった後に、お母様に報告しなければならない。このことを絶対に逆にしてはならない。分かるか?“ -


と、厳重におっしゃりながら確約を受けられた。
http://ameblo.jp/gildong/entry-11197971048.html



最後に、


「私からはすでに、お母様の「独生子・独生女」発言は原理講論にも矛盾していないし、お父様のみ言からもそれを裏付けるものもあったことを提示している。」



といわれているのですが、


「独生子・独生女」に関して、「原理講論」に重要な御言葉が存在しています。



投稿『「独生女」の方程式』で、



「原理講論」の「第七章 キリスト論」の「第一節 創造目的を完成した人間の価値」の「(一) 生命の木復帰から見た完成したアダムとイエス」に、


堕落した人間は、彼自身の力では、到底、生命の木に復帰することができないので、ここに必ず、創造理想を完成した一人の男性が、生命の木として来られて、万民が彼に接ぎ木されなければならなくなっている。このような男性として来られる方が、すなわち黙示録二二章14節に、生命の木として表象されているイエスなのである。



また、



「第二節 創造目的を完成した人間とイエス」、「(二) 創造目的の完成から見た人間とイエス」に、



ロマ書五章19節には、「ひとりの人(アダム)の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとり(イエス)の従順によって、多くの人が義人とされるのである」と記録されている。また、コリントI一五章21節には、「死がひとりの人(アダム)によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人(イエス)によってこなければならない」と表明されている。



と書かれています。



「再臨のイエス(再臨主)」も



「創造理想を完成した一人の男性が、生命の木として来られて、万民が彼に接ぎ木されなければならなくなっている。このような男性として来られる方」として、「ひとりの人(イエス)」として


地上に降臨されるということがわかります。」



次に、「第三節 堕落人間とイエス」に、



したがって、人間は堕落した状態にとどまっている限り、何らの価値もない存在であるが、真の父母としてのイエスによって重生され、原罪を脱いで善の子女になれば、イエスのように創造目的を完成した人間に復帰されるのである。



と書かれています。



上記の御言葉は、「独生子」に関して言及されていることであって、「独生女」に関して言及されたものではない、と主張される方も居るかもしれませんが、



無原罪として再臨される「イエス」によって、「イエス」の相対となる「エバ」は、「復帰」され、「独生女」の立場となり、「再臨のイエス」と「真の父母」の立場に立つと理解したほうが、論理的であると思います。



お母様の「独生子・独生女」発言を、正統的なものとするためには、「お母様」と「再臨のイエスである御父様」との、「復帰」に関する内容を明確化する必要があります。



はじめに、復帰摂理上で「一人のアダム」が、「再臨のイエス(無原罪)」の立場でお生まれになり、その方とのご縁(介入)で、「エバ」が「無原罪の立場」でお生まれになられた(「独生女」の立場)という理解のほうが、原理的で、筋が通っていると思います。



どのようにして、「お母様」が「御父様」を通して「独生女」としてお生まれになられたのかが、現在、明らかになっていないということではないでしょうか。(私はある程度、推測していますが)。


そのことが明らかになれば、お母様が、「独生女」としてお生まれになられたことが明らかになります。


「独生女」に関するお母様の御言葉が、公的に明らかにされていないため、家庭連合の方にも、その内容を信じられないと思われている方も少なくないという状況が、現在ではないでしょうか。そのうち、そのことは、明らかになると思われます。



真のお母様がお父様に対し、「主管性転倒」した事実は、御父様の御言葉を通して、客観的に確認できることではないかと私は、思います。



問題は、「本然のアダムとエバ」が「堕落」しなければ、生まれることの無い「堕落性本性」が「お母様」にどうして生まれたのかという「原因」を明らかにすることです。



「天使が神に反逆して、エバと血縁関係を結んだとき、偶発的に生じたすべての性稟を、エバはそのまま継承したのであり、こうして天使長の立場におかれるようになったエバと、再び血縁関係を結んだアダムも、またこの性稟を受け継ぐようになった。そして、この性稟が、堕落人間のすべての堕落性を誘発する根本的な性稟となってしまったのである。これを堕落性本性という」
第二章 堕落論、第四節 人間堕落の結果、(六) 堕落性本性



「復帰されたエバ」に「堕落性本性」が生まれたということは、何か、「事件」が起きたという事になります。



「天使長」が再び、登場したということでしょうか。



............................................................



当時、「独生女」=「無原罪」と見方で、考察していましたが、


現在は、「独生女」=「無原罪」という見方をしていません。


先回も紹介しましたが、


「本来、旧教と新教が一つになって先生を受け入れていたら、今のオモニはオモニになれなかったでしょう。聖進のオモニがそのまま維持されていたことでしょう。」
(み言選集、337巻p18、2000年10月16日)


「今まで母子協助して復帰摂理をしましたが、これからは父子協助時代です。アダムさえ堕落しなければ、エバはいくらでも創ることができるのです。」
資料:み言選集 311巻192ページ 1999.09.04 <環境創造の能力者となれ


上記の御言葉は、「独生女』という存在が、「固定的存在」ではなく、「相対的存在」であることを示しています。


第一のお母様も「独生女」の立場に立つことができましたし、「御父様」を通して「無原罪」の立場に立たれることが出来たということです。


「韓お母様」が、この「原理的見解」を持つことが出来ないために、「韓お母様」のみが、「独生女」であると思い込んでいると思われます。実際、現在、「お父様」の「相対者」は、「お母様」ですし、「お母様」が、「独生女」の立場です。


ここで、重要な問題があります。


「御父様」と「お母様」が「真の愛」を中心として一つとなった「御夫婦」であれば、「真の御父様」は、「独生子」であり、「真のお母様」は、「独生女』であり続けることが出来ます。


ここからは、皆様ご自身の論理的理解と信仰にかかっていると思いますが、


もし、「御父様」と「お母様」の間に「不和」が生じ、「御夫婦の関係」が「破綻」してしまったならば、「真の父母」は、天的価値を失い、地上に存在していた「真の父母」は、存在しなくなります。


私は、一般的な、FPA会員の方と違い、


『「韓お母様」が、「特別」で、「一人のアダム」(お父様)が、「再臨のイエス(無原罪)」の立場でお生まれになり、その方とのご縁(介入)で、「エバ」が「無原罪の立場」でお生まれになられた』


という見解を持っています。


お母様は、お父様の介入で「無原罪」としてお生まれになられ、本来、「再臨主」(独生子)の「相対者」となるべき立場ではなかったのが、第一のお母様の失敗によって、「再臨主」(独生子)の「相対者」(独生女)となられた。


と思っています。


この見解に賛同できない方が多いであろうことは、十分に承知していますが、いくつかの御言葉を総合的に見ていくと、まさしく、受け容れがたい「真実」が見えてくるとお伝えしたいと思います。



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