お父様の「後継者」に関する御言葉の変遷
・1977.5.1
『先生は何度も思ったことがあります。「私はまだ死ぬことができない」と。残念ながら自分が第一線をあとにする時、使命を託すべき後継者がまだいないということです。「この者に、自分の使命を残して行くことができる、死ぬことができる」という確信を先生に与えてくれる者はまだ一人もいないのです。「誰が、私が神を愛したほどに神を愛してくれるだろうか、私が死んだのちに誰が私の神を見てくれるだろうか。親孝行してくれるだろうか」とそれだけが心配なのです。誰か「私が神様を見ますから、先生は後ろに立って見ていて下さい」と言う人がいるとすれば、その人こそは歴史においても私たちの教会においても主流的人物となり、永遠に滅びることなく、その子孫はアブラハムの子孫のごとく栄えることでしょう。』(1977.5.1.創立以前の内的教会史)
・1990.3.27
『三十年目に女性解放を宣布したのです。それゆえに、先生一人でも真の御父母様の代身であり、お母様が一人でも真の御父母様の代身です。「レバレンド・ムーンが古稀を過ぎて七十を超えたのだから、後継者が出てくるのではないか」という、そのような言葉は片づけてしまうのです。レバレンド・ムーンの夫人は四十七歳にしかなっていません!
ですから今、先生が第一教主、それからお母様が第二教主だというのです。』
(一九九〇年三月二十七日(陰三・一)、米国において挙行された第三十一回「父母の日」記念礼拝)(女性全体解放圏宣布)
・2000.7.2
『そのように生きてみると、私がここまできて、世界は私が主人になることを願うのです。「文総裁が80になったけれどもその後継者は誰なのか。」と心配する人が多いのです。今回、顯進が現れるのを見る時、「アイゴ、これでよし!」というのです。
統一教会に反対する人たちも「アイゴ、よかった!」というのです。そうなると世界がひっくり返るのです。天地開闢が起こるのです。そうすると、反対した者たちも自分たちは死んだとしても息子娘は統一教会に行けと遺言を言って死ぬようになっているのです。』2000年7月2日
文鮮明先生御言葉選集325-312
真の愛を中心とした為に生きる人生
2005.5.13
『望みをかけている息子・亨進』
み言葉選集 496-37-2005.5.13(金)漢南洞国際研修院
私が息子娘を愛せなかったので、今、孫を愛しているというのです。
それが末っ子の息子です。一人しか残っていません。
亨進しか残っていないのです。
皆、ひっかかっていくかもしれない立場にいるのです。
その亨進は、義母が先に逝きました。
オモニがいない中でも...。オモニがいません。
オモニも、今、統一教会でオモニの責任を果たしていない立場において
自分がしなければならないものが幾重にも残されているのです。
ハーバード大学院の歴史科に入ったが諦めて、これから博士(過程)までしようとすれば、8年の歳月が、7年、5年以上の歳月をかけなければなりません。
私は博士はするなと言いました。その博士(過程)が終わるのが今から5年です。
5年。8年の前に終えろと言いました。 3次時代にはお前が宗教界の全てを知って
てっぺんで捕まえてひっくり返さなければならないという命令をしているのです。
郭錠煥(カク・ジョンファン)!「はい」
どこのどの息子にできなくても、そのような命令をすることができる人を
育てていることを知らなくてはいけません。
「はい。」わかりましたか?「はい。」
中間の輩はみな、傷(あら、欠点)があります。傷があります。
先生自身も離婚しただろう。傷があるだろう?
聖進も傷があるだろう?孝進も傷があり、
興進は霊界に行って、顕進もそうだ。自分の勝手にするだろう?
そうかそうでないか?國進も勝手にしただろう。
勝手にやっていない息子...。
先日、父母様が講演をした時に、霊界の現象を体験した時に
亨進がまっさきに走ってきて私をしっかりと捕まえて抱いて、
回生(蘇生)して話をするまで守っていた事実!
あいつは大きくなるにつれ、オモニ、アボジが寝ている布団に入って寝ると、そうしました。
息子娘たちを信じられないが、それでも望みをかけている息子です。
また何でも霊界に(霊的に)早いです。興進君にも会って、栄進も会いました。
呼べば会って相談します。
幼い頃からハーバードの先生が自分を管理しましたが、
間違った日には、間違いなく聖日になる時に来れば、ドアを閉めてしまい入れなくします。
霊的に鋭いのです。何か間違っていれば必ず
「こいつ、これほど悪かったのに、ここに入ってこようとするのか?」と、知っているのです。
先生の息子娘は種が違います。栄進もあの女のために霊界に行きました。
このカンナめ、正否を騙して、霊界、清平まで行って騙して
私が全部、全て信じるしかなくてしたが、栄進自体がそうなって問題が起きました。
「お前にとって正しいことは何か?」と天の号令が降りて、別れて 悩んで逝ったのです。なんということだ!それを教えた人は誰ですか?
私が体制を、この統一教会を、自分のように信じて30年間任せてきたのに、
洪性杓(ホン・ソンピョ)、こいつは女房の話を聞いて滅んで出て行きました。
原理的基準に合わなければ、皆、反れるんだね。
先生だけが最後のこの碇(いかり)を四方に全てしながら...。
十二人の息子娘、十三人、皆断ち切れました。一人残ったのは亨進しかいません。
亨進も実に...。
名前をつけるのもだね、これは名前を勝手につけるのではありません。
信八、信萬、信宮、これを見ると八萬宮です。
「闕(けつ)」の字 信闕(しんけつ)にすれば、「八萬宮闕」になります。
それはあまりにもみ旨を知っている人として世の中を押しのけるための自画自賛する言葉になるので、それで「俊傑・俊」の字、信俊と付けました。信俊。「闕」の字にすれば八万宮闕!
※洪性杓(ホン・ソンピョ):洪 蘭淑(ホン・ナンスク)氏の父で36家庭だった
※信八、信萬、信宮、これを見ると八萬宮です:亨進様の長男/信八、次男/信萬、長女/信宮
※闕(けつ)=宮殿の門、宮門
※信俊 :亨進様の三男
・2012.8.3 訓読会にて、
「顕進なくして基元節はあり得ない。」
現在は、「お母様」が、
『三十年目に女性解放を宣布したのです。それゆえに、先生一人でも真の御父母様の代身であり、お母様が一人でも真の御父母様の代身です。「レバレンド・ムーンが古稀を過ぎて七十を超えたのだから、後継者が出てくるのではないか」という、そのような言葉は片づけてしまうのです。レバレンド・ムーンの夫人は四十七歳にしかなっていません!
ですから今、先生が第一教主、それからお母様が第二教主だというのです。』
(一九九〇年三月二十七日(陰三・一)、米国において挙行された第三十一回「父母の日」記念礼拝)(女性全体解放圏宣布)
を実現しています。
姜義弘女史(36家庭)の証
『私は一九五五年の後半から一九六二年まで鷺梁津で呉(故呉永春)執事、大母様と共に借家で一つの垣根の中で暮らしました。この期間に大母様と呉執事から北で信仰生活なさった事情についてたくさん聞きました。大母様と呉執事のお二人は、北で再臨主を迎えようという熱烈な信仰集団で血縁以上の姉妹としてお過ごしになりました。北の共産主義の虐政が日増しに極悪になって、この信仰集団にも例外なく迫害が加えられました。このような渦中にあっても、ひたすら再臨主を迎えようという信仰は火のように燃え上がりました。このとき、大母様が懐妊なされました。
懐妊なさった大母様と食口たちに天の驚くべき啓示がおりました。唯一の望みが再臨主に出会うことだったのですが、天の啓示が、「順愛よ、おまえのおなかの中の赤子は再臨主であられる。貴く心に留めよ」というものでした。それだけではありません。複数の信徒たちにも「順愛のおなかの中の赤子は再臨主であられる。貴く心に留めて精誠を尽くしなさい」という啓示がありました。このような途方もない驚くべき啓示を受けて感謝と喜びと希望で再臨主とすぐにでも会ったような楽しいお祝いの雰囲気でした。待たれる再臨主の誕生日を指折り数えて待ちました。出産予定日になって大母様が再臨主を分娩されて、周囲が皆、希望していたことが現実として迫りました。
そのときのことを、真のお母様のご聖誕日を迎えて回想してみましょう。正に赤子は、この世に来られたことを天地に宣布する声と共に誕生しました。ところが当時、大母様とすべての信徒たちは喜びとともに一方では怪訝に思いました。再臨主と言われたのに男の子ではなく女の子が誕生したのです。このとき、神様は、どれほどもどかしかったことでしょうか。神様は、独り子を送り、貴く思って、信じて仕えて従うようにみ旨をくださったのに、男の子ではなく女の子だったのです。天の隠密な摂理のみ旨が分かりませんでした。』
(2003年発行「真の愛の勝利者」姜義弘女史(36家庭)の証より)
お母様がされていることは、「御父様」を「偽キリスト」し、「お母様」が、「真の再臨主」と主張しているようなものです。
「神様」の「警告の啓示」は、残念ながら、実現してしまいました。
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