「お母様」が「無原罪」でお生まれになられた目的
先回の投稿で、
・将来、この女の子は、「独生子」の「独生女」になる運命である可能性がある。
・将来、この女の子は、「再臨主」である「独生子」を否定して、「再臨主」である「独生女」を主張されるようになる。
・「再臨主」がお生まれになられた23年後にお生まれになられた「女の子」は、「再臨主」の立場、つまり、「無原罪」という状態でお生まれになられた。つまり、「再臨主」の「無原罪」の血統を受け継いでいるということ、つまり、「再臨主」、「独生子」の「娘」の可能性がある。
・「再臨主」は「キリスト」であるが、「女の子」は、「女キリスト(女イエス)」としてお生まれになられた。
等が解かると思います。
と書きました。
しかし、
「本来、旧教と新教が一つになって先生を受け入れていたら、今のオモニはオモニになれなかったでしょう。聖進のオモニがそのまま維持されていたことでしょう。」
(み言選集、337巻p18、2000年10月16日)
という御言葉から、
「無原罪」でお生まれになられた「お母様」には、別の人生が「予定」されていたことは明かです。
「無原罪」でお生まれになられた「お母様」=「独生女」としてお生まれになられたというのは、間違いで、
「無原罪」でお生まれになられた「お母様」は、別の人生が「神様」によって「予定」されていましたが、「第一のお母様」、「第二のお母様」(私は、この方の存在には懐疑的です)の失敗により、「現在の韓鶴子お母様」が、「独生子」の相対である「独生女」になられたということで、
そもそも、「独生女」が、「無原罪」でお生まれになられる必要性はないと考えられます。
「再臨主」であり「独生子」である「御父様」は、原罪を持つ女性(エバ)を「無原罪」にすることの出来る「権能」をもたれているわけですので、「第一のお母様」、「第二のお母様」が「原罪」を持ってお生まれになられても、「御父様」によって、「無原罪」になることが出来、そして、「再臨主」であり「独生子」である「御父様」の「独生女」になられることが出来るということを認識する必要があります。
「お母様」が「無原罪」でお生まれになられたのは、「御父様」の「独生女」になるためにそのようにお生まれになられたわけではないということです。
母親である「洪順愛大母様」と「御父様」の間に、お生まれになられたのが「お母様」であるということであって、御父様に復帰された「洪順愛大母様」により、「お母様」は、「無原罪」でお生まれになられました。
「洪順愛大母様」の証しにある、
「私と二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました。」
は、その事を語られているわけです。
ルカによる福音書1章56
「マリヤは、エリサベツのところに三か月ほど滞在してから、家に帰った。」
と同じです。
ブログ「ちゃぬの裏韓国日記」のタイトル「真のお母様(韓鶴子)誕生秘話(5)」に、
■二人の接触の可能性
(1)文教祖と洪順愛(大母様)の生まれ故郷は二人とも平安北道定州(家は数キロの距離)
(2)洪順愛の母方(趙元模)の趙氏家門は昔、定州で名の知れた富豪であった
(3)洪順愛の母方の先祖の趙漢俊の話は伝説として定州で知らない者はいないほど有名
(4)洪順愛の母方の先祖の趙漢俊の架けた橋は定州で名所になっている
(5)文教祖は趙漢俊の架けた橋を少年時代毎日自転車で渡っていた
(6)文教祖は定州は行かないところがなかったと証言している→趙漢俊の家(洪順愛の家)にも文教祖は見物に行っている時に洪順愛も見ている可能性あり
(7)洪順愛の母(趙元模)の実家は、定州で富豪であり伝説で有名な家柄
(8)洪順愛の母(趙元模)が結婚するときは定州で話題になるはず→結婚相手にも話題の関心が行く
(9)洪順愛の母(趙元模)が異端の血分け教団を信仰していれば定州で噂になるはず
(10)文教祖は解放3年前から(満22歳)から地下教会(血分け教団=混淫派)と再建教会(崔先吉の母の教会)との一体化を考えていた
(11)洪順愛は統一教会入教前から文教祖の顔を知っている(証では夢で2度出会ったと言っている)
(12)洪順愛は李龍道の司会(主礼)で結婚したと韓鶴子に聞かせていたが、李龍道は洪順愛が結婚した日付(教会発表)の前に死亡している(娘に嘘を教える)
(13)洪順愛は教会発表では1934年に結婚しているはずなのに洪順愛の証では「2月に出会って、3月に身ごもった」という表現を使用しているのはおかしい
(14)韓鶴子の父親といわれている韓承運は熱狂的な混淫派の信者であり、李龍道の弟子のはずだが、洪順愛が妊娠している途中で生まれる子供が男か女の確認もせず去るのはおかしい
(15)洪順愛が統一教会に入教したとき文教祖は洪順愛だけ無視した(知り合いということを隠すため?)
※統一教会の趙漢俊の話は「ミロク信仰の研究[改定版]宮田登著(1975年・未来社発行)」が元になっています。教会公表の伝説にまつわる韓鶴子夫人の話をかなり脚色して信者に伝えています。
と書かれています。
「そして、文教祖が本格的に神霊集団(聖主教、腹中教等)を本格的に巡回しだしたのは1942年(満22歳)からで、韓承運氏の単身赴任の時期と重なるのです。」
『しかし、文教祖はイエスから啓示を受けたといわれる1936年(満16歳)から、李龍道氏が創設した「新イエス教(またはイエス教)」の熱狂的な信者でした。1936年は李龍道氏は1933年に33歳の若さで他界していましたので、その後は李浩彬氏が信仰を受け継ぎ「新イエス教」の代表者として教会維持運営していました。文鮮明教祖は、ソウル明水台にある「新イエス教」の熱心(狂信的?)な信者で、黒石洞の下宿から学校に通いながら教会に行っていました。ちなみに黒石洞の下宿の大家の女性も「新イエス教」の信者でした。
文鮮明教組が、1945年に前妻の崔先吉夫人と結婚式をしたときの主礼(司会の牧師)も「新イエス教」の李浩彬氏でしたし、文教組が本格的に神霊集団巡りをしたのは、1942年(満22歳)ですが、信仰は既に16歳から始まっていました。
問題は、韓承運氏は李龍道牧師の弟子だったかということです。韓鶴子夫人(お母様)も、「自分の父と母は李龍道牧師の主礼で結婚した」と証しています。』
『最近の教会の公式書籍では、洪順愛大母様と韓承運氏は「1934年3月5日」に結婚したことになっています。以前は1933年と注釈をつけていたものもありますが、最近はこの日付で統一しているようです。しかし、李龍道氏は1933年に亡くなっているため、1934年の結婚式の主礼を勤めるのは無理です。』
とちゃぬさんは、述べています。
御父様 : 1941年4月1日 「昌慶丸」に乗って日本留学
1943年10月 日本留学から帰国
お母様の出生日 : 1943年2月10日(陰暦1月6日)
となっていますので、
御父様と洪順愛大母様が、肉体関係を持つのは、不可能ということになってしまいますが、
お母様の出生日が、違う可能性があります。
先回、紹介した、「姜義弘女史(36家庭)の証」に
「北の共産主義の虐政が日増しに極悪になって、この信仰集団にも例外なく迫害が加えられました。」という証がありますので、
ちゃぬさんは、
「生まれたのは1945年8月15日終戦後以降の北朝鮮政権下だと述べているのです。1943年は1月6日は終戦前です。おかしな話です。
教会発表のお母様(鶴子夫人)の誕生日の1943年は1月6日は終戦前です。おかしな話です。」
と書かれています。
お母様の出生が、1945年8月15日終戦後以降の北朝鮮政権下であれば、
御父様と洪順愛大母様が、肉体関係を持つ可能性が出てきます。
「私と二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました。」
という出来事が、単身赴任でいなかった韓承運氏ではなく、御父様の可能性が出てきます。
また、「洪順愛大母様」は、「金聖道」(聖主教団の教祖)の第一弟子でした。
「金聖道」は、御父様が3歳のときの1923年に、
『神から「堕落の原因は淫行だった」と直接教えられた』
という経緯を持っています。
「洪順愛大母様」の証「侍義と精誠の生涯」で、
『「神様は、「今日まで全世界のキリスト教徒の中で、この根本問題についてこのように探り出そうとした人は一人もいなかった。しかし、おまえがこのように熱心に知ろうとするので、教えてあげよう」と言われたのです。
エデンの園でアダムとエバは、性問題によって堕落したのであり、善悪の果とは、果物のことではないということをそのとき教えてくださいました。「全人類には原罪がある」と言われたのです。
それでおばあさんは、「この原罪を脱ぐためにはどうしたらいいのですか?」と、またお祈りを始めました。お祈りの中で、「イエス様の血の功労によって原罪がなくなるのであり、イエス様の血の功労がなければ原罪はなくならない」という確答を得たのでした。
全世界のキリスト教徒は、神様は全知全能であり、天の高い御座におられて、人間に福だけを与えておられ、悲しみなどは一つもないと思っているのですが、お祈りをする中で、そうではないということが分かったのです。
また神様は、「二つの大きな悲しみがある」と言われました。一番目は、愛する息子と娘が堕落したことによる悲しみ、二番目は、死ぬはずではなかったイエス様が、十字架で殺害された悲しみです。
それでおばあさんは、神様は復帰歴史の中で、悲しみの涙を流されながら役事しておられたということが分かったのです。』
と語られています。
御父様が、その「金聖道ハルモニ」の第一弟子であった、同郷である「洪順愛大母様」に関心を寄せたことは、容易に推測できます。
「洪順愛大母様」は、ベルベディアで、もしかしたら、「御父様」の前で、その「証し」をされたのではないかと思います。そのような強いプライドを持つ気質の大母様は、
「私と二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました。」
と、隠すべき内容をあえて隠すことなく、語られたのではないかと思います。
話が、かなり、はしょってありますが、詳しくは、「預言者mebiusuの独り言」の20216年後半の投稿記事をご確認ください。
タイトル「お母様」が「無原罪」でお生まれになられた目的に関してですが、
体調が優れないので、
投稿『「真のご家庭」研究 神様の布石』をお読みください。
投稿『お父様とお母様の「近親絶対理想的相対関係」とお母様の「初愛のゆくへ」』
投稿『「独生女」の方程式』をお読みください。
体調が回復しましたら、もう少し、整理して書き直すかもしれませんが、関わる内容が多いため、時間がかかるのではと思います。
最期に、サンクチュアリ教会の信徒の方たちは、霊界におられる「御父様」の「生心」に神様が臨在されていると思われているようですが、
「アダムの責任」について考えてみてください。
「堕落」は、最終的には、「アダムの責任」と言われていますが、
「真の父母」の場合、「真のお母様」が、「不信仰」に陥った場合、「責任」は、誰にあるのでしょうか。
「御父様」に「最終責任」があると「神様」は判断されます。
その「御父様」に神様は、一時的には臨在されることは出来るかも知れませんが、永遠の世界である「天上天国」に「真のお母様」を失った「御父様」が、御一人で入ることはできないために、「神様」は、「御父様」の「生心」から離れざるを得ません。
「御父様」は、「神様」の目から見れば、「失敗者」と映らざるを得ません。
そう「判断」せざるを得ません。
「お母様」の代わりに、他の方を「御父様の相対者・真の母」としても無意味です。
「御父様」と「その方」が、地上で「ご夫婦として」愛し合った基準も無いのに、「天上天国」で永遠に愛し合うことが出来るでしょうか。
そんな基本的なことも解からずに、全く、つまらない事をしますし、お父様に「神様」(夜の神様)が、臨在するという非原理的なことを主張していますが、信じられないことを主張され、信じていると思います。
強い抵抗感があると思いますが、「神様」は、「第3アダムであるお父様」から離れざるを得ない状況にあるということを知らなければなりません。
その深刻な問題を解決できる存在は、「第4アダム」であると言えます。
「第2アダム」である「イエス様」御自身が、ご自身を「霊肉ともに」救えないように、
「第3アダム」も「真の父母」の破綻を「修復できず」に霊界に行かれてしまったため、
「アダム」、「第2アダム」「第3アダム」の救済は、「第4アダム」でないと実現されないということが言えると思います。
「第3アダム」の「真の父母の破綻」を修復できるのだろうかと私は思ってしまいますが、「第4アダム」は、それをしなければならない、非常に難しい立場に立たされていると思います。
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