farisuの真実の紐解き

「預言者mebiusu」の息子の「真実の紐解き」のブログです。

お父様とお母様の「近親絶対理想的相対関係」とお母様の「初愛のゆくへ」

先回は、体調が悪く、書くきる気力がありませんでした。しばらく経って、「預言者mebiusuの独り言」タイトル『お父様とお母様の「近親絶対理想的相対関係」とお母様の「初愛のゆくへ」』を読み直しましたが、なぜ、お母様が、「独生女」を主張するのか、「お母様」の人生に対する「受け容れがたい境遇に対するご心情」と「隠し続けてきた本音」が解かる様に思いました。


まず、ご紹介しますので、お読みください。


<お母様の歴史的事実 6 金孝律氏編 3>


『任命すれば、文鮮明と何の関係がありますか? 真の父母の息子、娘として、血統が変わりました。先生の血液型が何型か、知っていますか? お母様は何型ですか?
(真のお母様「(真のお父様と)同じです。」)お母様は何型ですか? (真のお母様「同じですよ。」)ああ、ですから、「何型なのか?」と聞いているのです。同じ型ですか?
と聞いているのです。同じ型ですか?(笑い)(真のお母様「B型です。」)B型です。それを皆、知らなければなりません。』

(「第四次イスラエル国出発宣布式」の御言2003年8月20日 韓国・漢南国際研修院)」


『アダムとエバが堕落するとき、天使長が姦夫サタンとなって、自分の愛する妻を奪い、息子と娘をすべて滅亡させ、その家庭と世界全部を破綻させたという、この事実をどのようにして忘れるというのですか?(中略)そのために(堕落世界は)近親相姦関係まで行くのです。近親とはだれのことですか?親子の関係です。一番近い愛の関係において混乱が起こるのです。(中略)ですから、天の反対の立場であるサタンは、世の中で貴いということのすべてを奪っていったのです。神様が最も貴く考えるのは、近親絶対理想的相対関係であり、近親相姦関係ではありません。それを近親相姦関係にしてしまったというのです。』
(「七・八節」(天地父母天宙安息圏宣布)の御言1997年8月9日九里市水澤洞・中央修練院 )


「近親とはだれのことですか?親子の関係です。」
「神様が最も貴く考えるのは、近親絶対理想的相対関係であり、近親相姦関係ではありません。


と語られています。


なぜ、そのような御言葉をお父様は、語られたのか。


語られなければならない事情がお父様にあったのではないでしょうか。


「本来、旧教と新教が一つになって先生を受け入れていたら、今のオモニはオモニになれなかったでしょう。聖進のオモニがそのまま維持されていたことでしょう。」
(み言選集、337巻p18、2000年10月16日)


「お母様」は、お父様と御聖婚されることはありませんでした。


お母様がお父様の実の娘であるならば、父親であるお父様と夫婦になることは、ありえないことであったと思います。


しかし、お父様は、「蕩減」のために、「実の娘」と「御夫婦」になる道を選ばれましたと思われます。


サタンの讒訴のために、お父様は、


「神様が最も貴く考えるのは、近親絶対理想的相対関係であり、近親相姦関係ではありません。」


と語られました。お父様の御言葉により、「お父様」と「お母様」の「近親絶対理想的相対関係」は、正当化されました。


「近親絶対理想的相対関係」のご夫婦となられた「お父様とお母様」は、「真の父母」の道を歩まれました。


・1967年 「お母様の7年路程」の勝利により、


・1968年 神の日が制定されました。


『「神の日」の決定と同時に、先生の使命は完成されました。』


とお父様は語られました。


その直後に、「金孝律氏」が、お母様の前に現れました。


お父様と「近親絶対理想的相対関係」となられ夫婦関係をもたれても、「お母様の初愛」は、お母様の心の中にしまわれていて、お父様に捧げることはなかったのではないかと私は、思っています。


「お母様の初愛」は、本来の主体者のために、とって置かれたと思います。


「お母様」は「忍耐と犠牲」で「7年路程」を勝利されましたが、父親ほど歳が離れているお父様に、「お母様の初愛」を捧げることはなく、「金孝律氏」と出会います。


ご自分より、2,3歳年下で、語学に堪能な、好青年で、17歳のとき、母親に連れられて、教会に来たという、お母様も、大母様に連れられて教会に来られたという同じ事情を持ち、霊的に、聖進様の代理という立場であるため(天使長ルーシェルがそのように金孝律氏を立てた)、お母様は、「金孝律氏」に強烈に惹かれたと思われます。


「金孝律氏」が「天使長ルーシェル」がエバにしたように、お母様を誘惑したのではなく、お母様が、誘惑したのではないかと思われます。


『本体論の講義の中で、劉会長は文先生のお話として、
「ルーシェルがエバを堕落させたのではなく、エバがルーシェルを堕落させた」
と何度も強調されるようになったと明かされました。』
「教育部長の講義日記」タイトル「堕落の張本人は誰か」 2012/07/08投稿
・その本体論を「お母様」が学ぶように御父様の指示があったということです。


また、


「身体の神としての昼の神が堕落した。夜の神が男性であるとしたら、昼の神は女性だ。そして彼女が堕落した。エバは神の弟にまたがった。」


「昼の神は女である。女が神の弟の腹の上のまたがり、彼を堕落させたのだ。その過程において、彼女は下になり、神の弟を自分の上に乗せ、そして彼女は種を受けた。」


(2012年1月11日江原道のホバン室内競技場で行われたお父様のスピーチの中で語られたお父様のコメント)


「すべてを壊したオンマ(お母様)と金孝律は責任を取りなさい。」
2012年8月3日朝の訓読会にて。


お母様は「近親絶対理想的相対関係」となられた父親のような「お父様」ではなく、弟のような存在の「金孝律氏」に、


「お母様の初愛」を捧げたと私は、思います。


「お母様の初恋」の方は、「お父様」ではなく、「金孝律氏」であったのではないかと思います。


・1970年、長男孝進様の世話をお母様に依頼され、「真のご家庭」に入られてから、お父様の御聖和後に至るまで、「お母様」と「金孝律氏」は、いつも共にいたのではないかと思います。


<お母様の歴史的事実 6 金孝律氏編 3>は、神様もお父様もどうすることもできない「お母様の初愛」の相手が、「金孝律氏」であり、


そのために、


「サタンが私の家庭に侵入することさえ許可しなければならなかった。」


と語らざるを得なかったのだと思います。


神様が「エバ」の堕落を止めることもできずに見ざるを得なかったように、お父様も、「お母様」の堕落を止めることもできずに見ざるを得なかった同じ境遇を体験されたのではないでしょうか。


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私は、「お母様」が「独生女」であると思っています。「再臨主」であり、「真の父母の真の父」であり「独生子」の相対である「お母様」は、「独生女」です。また、「第一のお母様」、「第二のお母様」とは、出生の経緯が特別で、「再臨主の娘」としてお生まれになられて、「摂理の失敗」ゆえに、実の父親と「御夫婦」になられたという「お母様」にとって見れば、「とても不運な境遇」であると思います。


本来、神様が準備された「主体者」は、いたのです。


お母様が、御父様が御生存中のお父様との愛の証を、お父様の御聖和後、聞かれた方はいるのでしょうか。


「真の父母」の「核心」は、「真の愛」であると思いますが、「お母様」が、お父様に対して「真の愛」で心が満たされてきたのならば、御父様の御生存中の愛の交流を思い出されながら、私たちの「御父様」と「お母様」の「真の愛の証」を伝えてくれるのではないでしょうか。


「お母様」が「愛してこられた方」は、「お父様」の他におられたと私は、思っています。


「御父様」にとってみれば、「お母様」の「主体者」は、「御父様」ですが、「お母様」にとってみれば、「お母様の主体者」は、「お父様」ではなかったのです。


お父様が、


『サタンが私の家庭に侵入することさえ許可しなければならなかった。そうだよ。ありとあらゆることが起きたよ。孝進を見るたび、孝律(ピーター金)の顔を殴りたくなる。あいつめ。「あいつを殺してやる」と息子皆が言ったよ。孝進は「殴り殺す」と言っていた。顕進も国進も皆、「あいつら、殴り殺してやりたい」といった。あの者たち。だれも信用ならない。』


と語られざる事態が起きてしまったということが、「お母様の実質的愛の主体者」が、「御父様」ではなかったということが解かります。


「お母様」が、「御父様」の御聖和後に、お父様の愛の証をされておられるのでしたら教えていただきたいと思います。


2013年1月7日、「お母様」が「人事」をされました。その時、「お母様」は、「金孝律氏」に対して、特別人事をされました。


「特別で、すべての制度の上に立つ」と「金孝律氏」を人事されたのです。


私は、「お母様」の本音を見たように思いました。


長年、連れ添ってきたのは、「御父様」ではなく、「金孝律氏」であったというとが「お母様」の特別人事は「お母様の本音」、「金孝律氏」に対する「念願」を果たすため「お母様」のために生きてこられ、「御父様」を御聖和させることが出来た「ねぎらいの人事」であったと私は思いました。


「お母様」は、「金孝律氏」とともに、「御父様」に「勝った」と宣言した時でもあります。


そのときから、「お母様」の「独生女」宣言は始まっていたのです。


「お母様」がお生まれになられた時の「神様」の「啓示」は、一つの「危惧」を暗示されていましたが、残念ながら、「神様のお母様に対する危惧」は現実のものとなってしまいました。




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