「真の父母の定着」が失敗すれば、「天の父母の定着」も失敗してしまう。
「預言者mebiusuの独り言」から、『「真の父母の定着」が失敗すれば、「天の父母の定着」も失敗してしまう。』をご紹介したいと思います。
この問題は、「神様」と「御父様」にとって、(もちろん、「お母様」にとっても)深刻な問題となります。
まずは、読んでみてください。
「パシセラ (Paci-fi-Cera) のブログ」の「12月の初めまでに長子とつながる重要性 (4)」(記事は削除されています)に、とても重要と思われる見解が述べられています。
「最後に、もう一つ、問いを投げ掛けておきます。独生女論は、文先生の血統を否定し、原罪を持って生まれたことを主張する思想です。真の父母が出発するだけでなく、定着するためには、父が勝利するだけでなく、父母として勝利しなければなりません。その定着が、基元節の条件の一つだったのに、条件が失われて、基元節前に文先生は他界しました。
もしも、最後まで定着できない状態が続けば、真の父母の定着は、子供の世代、つまり、文顕進会長の世代になされなければならないことになります。それは、文先生夫妻が、真の父母として定着できなかったことを意味するようになります。その時に、文先生夫妻から祝福を受けた人たちの立場は何になるでしょうか?文顕進会長に連結していなければ、どのような立場になるでしょうか?特に、文先生が他界してから、統一教会で祝福を受けた人たちは、どのような立場になるでしょうか?
それをまだ明確に答えるべき時には来ていません。でも、霊的生死の問題であるのは、わかるのではないでしょうか」
と書かれています。
「真の父母が出発するだけでなく、定着するためには、父が勝利するだけでなく、父母として勝利しなければなりません。」
「もしも、最後まで定着できない状態が続けば、真の父母の定着は、子供の世代、つまり、文顕進会長の世代になされなければならないことになります。それは、文先生夫妻が、真の父母として定着できなかったことを意味するようになります。」
「真のお母様」が、「勝利」しなければ、「真の父母」は「勝利」したことにならない、と言うことです。
文先生夫妻が、真の父母として定着できなかったならば、真の父母の定着は、子供の世代、つまり、文顕進会長の世代になされなければならないことになる、とパシセラさんは、主張されています。
今まで、そのことに関して、言及を避け続けてきた、顕進様を擁護されてこられた方たちでしたが、8月の顕進様の御言葉を通して、状況が大きく変わったと思われます。
「顕進様」を「アボジ」と呼ぶ方が、私以外に現れる日がそう遠くないことが予想されます。
今回は、もう少し、深刻なことに言及しようと思いました。
投稿のタイトルは、『「真の父母の定着」が失敗すれば、「天の父母の定着」も失敗してしまう。』です。
「地上天国は実体の真の父母と共に暮らす所であり、天上天国は永遠なる霊的な『神様父母』と共に暮らす所です。…アダム・エバが天上天国に上がっていけば、彼らが神様の位置に立つのです。そうして神様が、実体を着たアダム・エバの体として変化した、霊的な主体的主人公として現れるようになるのです。霊界に行くようになれば、『神様お父様』だけいるのではないのです。『神様お母様』がいるようになる、ということです。お母さん、お父さんなしに生命体が生まれ得ますか?そのようなお母さん、お父さんのように、アダム・エバの背後には、神様が分かれて出てきて、一つになっているのです」(1977.1.1)
「アダムが誰か?『横的な神様』です。神様は何か?『縦的な神様』だというのです。…それならばエバは何か?『縦的な神様』の前に『横的な神様(アダム)の妻』です。エバは『横的なオモニ神様』で、神様は『縦的なオモニ神様』です」(1982.4.26)
という御言葉があります。
「アダム・エバが天上天国に上がっていけば、彼らが神様の位置に立つのです。」
「霊界に行くようになれば、『神様お父様』だけいるのではないのです。『神様お母様』がいるようになる、ということです。」
「アダムが誰か?『横的な神様』です。」
「それならばエバは何か?『縦的な神様』の前に『横的な神様(アダム)の妻』です。」
「アダムとエバ」が、「真の父母」となり、霊界に行かれると、「天の父母」となられると言うことです。
もし、
「真の父母の定着」が失敗すれば、
「天の父母の定着」も失敗してしまいます。
つまり、「神様」が、「真の父母」の「アダムとエバ」の御姿をもって、顕現され、「霊界」において、神様が、「真の父母」の「アダムとエバ」の御姿という「無形実体」の御身体を持ち、永遠の世界である「霊界」で、子女である人類と交流して過ごすという「究極の神様の願い(夢)」が、「真の父母の定着」が失敗すれば、もろくも崩れ去ってしまうという大変な事態となってしまうという「深刻」な問題があります。
「もしも、最後まで定着できない状態が続けば、真の父母の定着は、子供の世代、つまり、文顕進会長の世代になされなければならないことになります。」
この事は、「顕進様御夫妻」が、「真の父母の定着」を実現されるということ、つまり、未来において定着に失敗された場合、失敗した「真の父母」を復帰し、「文鮮明・真の御父様」と「韓鶴子・真のお母様」の立場に、立たれると言うことになります。(私の見解は、今回は述べません。)
もちろん、「顕進様御夫妻」も、「真の父母の定着」に失敗されるかもしれません。
しかし、失敗されず、「真の父母の定着」を実現されたとしたら、どのようなことが起きるでしょうか。
未来において『お父様とお母様の「真の父母」の定着』に失敗された場合、「御父様とお母様」は、「アダムとエバ」となることができず、霊界に行っても「天の父母」となることができません。
「天の父母」として神様が顕現されるのは、「顕進様御夫妻」の御姿ということになります。
「顕進様」は、勝利されて、「お母様」を「勝利された真の母」として立てるようにされると言われています。
もし、そのことが実現し、お母様が「勝利された真の母」の立場に立つことができれば、「御父様とお母様」の「真の父母の定着」が実現し、
「御父様」は、『横的な神様』に
「お母様」は、『横的なオモニ神様』
になられます。
「真の父母の定着」が失敗すれば、「天の父母の定着」も失敗してしまう。
と言う意味は、「天の父母様」の御姿が、「御父様とお母様」ではなくなってしまうということです。
「再臨主」として、「神様の恨」を開放されてこられた「御父様」を「神様」は、どれほど愛しておられるでしょうか。
「御父様の御姿(霊人体)」を霊界での「神様の御姿(霊人体)」とされたい「神様」であることは、疑問の余地もありません。
まして、「お母様」と共に、「天国」に入れないとしたら、「神様の嘆き」はいかほどでしょうか。
「真の父母の定着」と言う問題は、とても「深刻な問題」であると思います。
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まず、「パシセラ」さんは、ブログの投稿記事を必ず、「削除」しますが、「顕進様」の側近の方のすべきことでしょうか。
「FPA」は、「FPA]の在籍している私でさえ、「秘密主義」、なにか、ご自分で書かれたことに「後ろめたい思い」「よくよく吟味されては困る」という印象を持たざるを得ません。
「パシセラ」さん御自身は、いい方だと思いますが、「天宙史的葛藤」を引きずっておられるのか、正しいことを言われているのに、「批判や記事の利用」に関して、「恐れ」を抱いているような印象を持ちます。
「洗礼ヨハネ」が、イエス様と始めてお会いした時の純粋な証しのごとく、今、「顕進様」に関して、語るべきではないでしょうか。
『民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。』
(ルカ 3.21~22)
『洗礼者ヨハネは、イエスは「聖霊と火で洗礼を授ける方だ」と民衆に語ります。』
(ルカ 3.16)
〔「わたしは“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。
わたしはこの方を知らなかった。
しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、
『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、
その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。〕
(ヨハネ1.29~34)
「隠しながら」、「真実」を語ることが出来るでしょうか。
「真のお父様の聖和7周年記念式における文顯進様の祈祷」2019.8.17
で、
「このすべての祈りを真の家庭の一員、第4次アダム、文顯進の名で報告いたします。」
とお祈りされました。
私は、「顕進様」が、「第4次アダム」という認識をご自分でお持ちになっていることを確認しました。
次のステージに、「顕進様」が上がられた状況において、「天宙史的葛藤」に「FPA」が、引きずられて存在していいものかどうか、思わざるを得ません。
重要な「命題」があります。
「真の父母」から生まれた御子女様は、「真の父母」を超える存在になることは、できないのでしょうか。
特に「真のご家庭の長子の立場」の方は、『真の父である「御父様」』を超えた「個性・能力・カリスマ性等」を持つことは、考えられないことでしょうか。
むしろ、逆で、「息子」が「父親」を超えることを「父親」願っているのではないでしょうか。
「神様」も「霊界の御父様」も「顕進様」に、これからの人類救済と地上天国の実現を任せたいと思われているのではないでしょうか。
私たちは、「顕進様」を「カナンの地を目の前にして倒れたモーセ」のようにしてよいのでしょうか。
「ヨシュア」と「カレブ」のように強い信仰で「困難」を克服していかなければならないのではないでしょうか。
「天宙史的葛藤」を終わらせるというのは、「お母様」の目を覚まさせることではないと思います。
「神様の摂理・御心」は、そこにはないと思います。
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