farisuの真実の紐解き

「預言者mebiusu」の息子の「真実の紐解き」のブログです。

「顕進様」が、「夜の神様」の管理を受ける方として誕生された経緯

「顕進様」を擁護される方は多く居るはずなのに、「顕進様」のご生誕の経緯について、証される方は皆無に近いと思われます。


「顕進様」のご生誕の経緯を調べれば、「顕進様」が、「夜の神様」の管理を受ける方として誕生されたことが解かります。


まるで、その事を知ることをタブー視しているかのようです。


「顕進様」のご生誕の経緯を確認する前に、


「真のご家庭」を分裂させた張本人を明かにしたいと思います。
ごまかそうとしても無駄です。


1999年10月に、
『み旨のため、最も近い側近が裏切るのです。先生の息子の中からも裏切る者が出なければなりません。「先生を殺す」と、「売ってしまおう」というようにです・・。』


と言う御言葉を語られ


そして、11年後の2010年11月18日、


「お母様、仁進様、国進様、亨進様の名前を挙げられながら、”お前たちは裏で組になって私を殺そうとした、私を売り渡そうとした”と語られ、亨進様の頭を叩くようなしぐさをされながら(補佐官らは叩かれなかった)お母様に対しては、


“この女!真の母か?韓鶴子女史か?総裁か?”と語られながら怒りを一時間近く露わにされた。


ピーター金を指しながら“この詐欺師のようなやつが補佐官か?”ユンジョンロ氏を指しながら“この詐欺師め”、朱東文氏を見て“この詐欺師のようなやつ”と叱責された。


ピーター金は顯進様GPFの報告をしながら“ネパール、インドネシアなどのGPF活動は失敗しました。全てだめでリトルエンジェルスの摂理に送って欲しいと言ったそうです”というウソの報告をしたが、お父様は何も語られなかった。


その後のみ言葉で、 “国進!、お前の兄は誰だ?”国進様が、“顯進様です”と答えると “顯進がアベルUNの責任を持たないといけない。ヨーロッパまで。”“天使長ルーシェルも神様が創造した。神様が責任を持たないといけないのだ。”“郭会長の仕事も私が仕事を任せた。私の責任だ”と語られたということです。」


と語られました。


「真のご家庭」を分裂させた張本人は、「お母様」であり、「仁進様」であり、「国進様」であり、「亨進様」であり、「ピーター金(金孝律氏)と手下の幹部」です。


『”お前たちは裏で組になって私を殺そうとした、私を売り渡そうとした”と語られ、亨進様の頭を叩くようなしぐさをされながら』


と語られています。「真のご家庭」を分裂させた張本人の中に、「亨進様」(2代王)が、居ます。


この事実は、ごまかそうとしてもごまかせません。悔い改めて、神様と御父様から許されない限り、この「大罪」は、霊界に行っても永遠に残ります、


まるで、「亨進様」(2代王)は関係ないようなことを言われている方が居ますが、いわゆる「下手人」であるということは、ごまかせません。


話は、「顕進様」を擁護される方たちが、タブー視していると思われる「顕進様」のご誕生の経緯についてすでに、過去の投稿で明かにしていますが、「顕進様」の「天的価値」に気づくまで、繰り返し解説します。


なぜ、タブー視するのかは、その事をこの地上に明かにしてしまうと「顕進様」が「永遠の真の長子の立場」で居られなくなるからです。


「顕進様」が、「夜の神様」に管理される立場であることが明かになってしまいます。


その事を恐れているとしか思えない愚かな判断をされています。



御子女様の誕生年の一覧


文誉進 1960年 陰暦3月1日「父母の日」、陰暦10月1日「子女の日」
文孝進 1962年
文恵進 1963年 陰暦5月1日「万物の日」
文仁進 1965年
文興進 1966年
文恩進 1967年 「お母様の7年路程勝利」
1968年 1月1日「神の日」
文顕進 1969年
文國進 1970年
文權進 1975年
文善進 1977年
文榮進 1978年
文亨進 1979年
文妍進 1981年
文情進 1982年



「神の日」の宣布後


 一九六八年一月一日、「神の日」が決定されました。「神の日」の決定と同時に、地上に神様が臨在される基準が立てられました。したがって、今から統一教会は地上において急速に発展していくことでしょう。そのような基準を立てたので、統一教会は、真理を中心として霊界の解放とともに地上の解放、そして地獄を解放するものとして発展していきます。なぜならば、「神の日」を迎えたその時から地獄が壊滅し、サタンも滅亡せざるを得ない立場に立つからです。それは理論的に正しいのです。それで、「神の日」の決定と同時に、先生の使命は完成されました。


 サタンが神様から奪っていったものを再び取り戻した基準が立てられたので、そこから初めて完成基準を地上に成すことができるようになりました。新郎と新婦がサタンを押しのけて出会ったのです。その一日が神様の念願だったのであり、二千年のキリスト教歴史の目的でした。新郎はイエス様として天を意味し、新婦は女性神として地を意味するのですが、この二人がお互いに出会うことによって、空中の権勢をもっていたサタンが粉砕され、天地が一つになったのです。宗教人の最高の目的を、私たち統一教会が果たしたのです。


 先生が一九六〇年から始めて一九六八年の一月一日を期して「神の日」を宣布する時までの内的受難の路程は、皆さんには分かりません。永遠に分からないはずです。先生は、サタンと対決して家庭的段階へ越えることができる一つの基盤を築いたのです。これは世界史的な勝利です。今ようやく天下を私の指揮下において、神様に向かっていくことができる自由な時代に入ってきたのです。


 「神の日」を決定することによって、今はサタン世界が天国の王権、父母の王権、子女の王権、万物の王権の支配下に入ってきたのです。今からは自分の思いどおりにはできません。「神の日」「父母の日」「子女の日」「万物の日」を備えたので、先生に属したすべてのものを、サタンが略奪していくことはできないというのです。なぜでしょうか。真の父母圏、真の子女圏、真の万物圏に属し、神様に属しているからです。型は小さいですが、これにサタンが手をつけることはできません。手をつけることはできませんが、包囲してすべて死亡の道へ追い込んでいくことはできます。


 なぜでしょうか。家庭が行かなければならない道はどこでしょうか。国家基準を越えてローマまで越えていかなければなりません。アダムは世界統一圏を失ったのであり、統一圏とともに天国と地上の王権を失ってしまったので、世界的水準まで越えていかなければならないのです。


 七年を経て一九六八年正月一日を中心として、このすべての蕩減の道を越えて「神の日」を策定することによって、お母様の権威が生まれ、地上に着陸時代が到来し、世界的進出の出発が始まったのです。氏族基盤の上に立てることができなかったイエス様の新婦基盤を経て、民族基盤を連結し、国家と世界基準を越えることができる七〇年代の三年路程を経て、世界基準を越える蕩減の道を築いていったのです。」(真の御父母様の生涯路程 10 五 四大名節の制定と七年路程の勝利)


とあります。


『「神の日」の決定と同時に、先生の使命は完成されました。』
『お母様の権威が生まれ』


と語られています。


そして、次の年の 1969年、「顕進様」がこの地上にお生まれになりました。


「真のご家庭」においては、「3男」ですが、「摂理的な観点」で見れば、「顕進様」は
『勝利された「真の父母」』の「初子」、「長子」、「独生子」として、この地上にお生まれになられたので、「御父様」は、「顕進様」のことを「第四アダム」と呼ばれたのです。


先回、言及したように、「第四アダム」としてお生まれになられた「顕進様」は、「真の御子女様」の中でも「特別な存在」としてこの地上にお生まれになられたということが理解できたと思います。
もちろん、「顕進様」にも果たさなければならない「責任分担」があります。
それは、「アダム」にも「イエス様」にも「御父様」にもありました。


問題は、御父様の血統(真の父母の勝利圏のもと)を特別な立場で引継ぎがれてお生まれになられたという事実が、


『「顕進様」が、「夜の神様」に管理される立場』でお生まれになられたということを意味しているということです。



この様な証=「神格化」という思考が、特に、「真の父母の破綻」により、この地上に「真の父母」が「不在」という異常事態においての「神様の摂理」を「阻害」してしまっています。


日本では、「天皇」が「生前退位」され、「皇太子」が「天皇」となられました。


私たちは「皇太子」が「天皇」に即位され、「皇太子」を「天皇」とお呼びします。


「皇太子」が『私のことを「天皇」と呼んでよろしい』と言われてから、「天皇」とお呼びするというようなことは、誰も思いません。


「顕進様」の場合はどうでしょうか、「真のご家庭の長子の立場」である「顕進様」は、「皇太子」と同じ立場に立ちます。


私たちに、「皇太子」に、永遠に「皇太子の立場」であってほしいと願う者は居ません。


もし、そのようなことを「皇太子」に申し上げたら、大変失礼なことでありますし、「皇太子」を侮辱することになってしまいます。


よく、「顕進様」が「真の父母」になると言及されたら、そのようにするというシックが多く居るようですが、


「洗礼ヨハネ」は、そのようにする立場でしょうか。


もし、そのような理解をしていたならば、「イエス様」は、「預言者であって、本人が、時分がメシアであると言っていないので、言うまで待ちましょう。」ということになってしまいます。


新しい「天皇」に対して、「皇太子」と呼び続けるっようなものです。


私たちは、自分のこと以上に「神様の御心」を尋ねなければならないと思います。


また、自分のこと以上に「顕進様の御心」を尋ねなければならないと思います。


新しい時代の到来を「阻止」したのは、「洗礼ヨハネ」であったことを肝に銘じなければならないと思います。




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