farisuの真実の紐解き

「預言者mebiusu」の息子の「真実の紐解き」のブログです。

お母様の4人の長子 2

「お母様の4人の長子 」は、


1人目は、孝進様


2人目は、顕進様


3人目は、国進様


4人目は、韓鶴子お母様御本人


となります。



1人目の「孝進様」は、「真のご家庭」の長子(長男)としてお生まれになりました。


2人目の「顕進様」は、「お母様の7年路程勝利」後、「神の日」が制定され、「4代名節」と言われる、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」、「神の日」が制定され、


御父様は、


「神の日」の決定と同時に、先生の使命は完成されました。


と言われ、


「神の日」の制定は、1968年 1月1日 で、
その翌年の1969年4月10日に、「顕進様」がご生誕されました。


「顕進様」のご生誕は、「真の父母」の第一次七年路程勝利の「摂理的基台」によってお生まれになられた「摂理的長子」であるという意味合いがあります。実際は、3男ですが、特別な立場でお生まれになられていることが解かりました。


イエス様のときは、ヘロデ王がベツレヘムに生まれた2歳以下の男児を全て殺害させましたが、「顕進様」のときは、サタンは、とんでもないことをしようとしました。


『金孝律(ピーター・キム)氏は、一九六五年に統一教会に入教、その後二年半、開拓伝道師と教会長を務め、一九六八年にはソウルの韓国文化部で雑誌の編集に携わった。文夫人から当時小学一年生の長男孝進氏の世話を依頼されたのは、一九七〇年三月のことだった。それ以来今日に至るまで、金氏は文師の家庭と生活を共にしてきた。』
(久保木修己監修「文鮮明師とダンベリーの真実」(1989年 光言社刊))


『サタンが私の家庭に侵入することさえ許可しなければならなかった。そうだよ。ありとあらゆることが起きたよ。孝進を見るたび、孝律(ピーター金)の顔を殴りたくなる。あいつめ。「あいつを殺してやる」と息子皆が言ったよ。孝進は「殴り殺す」と言っていた。顕進も国進も皆、「あいつら、殴り殺してやりたい」といった。あの者たち。だれも信用ならない。』
文鮮明師御言選集Vol. 312 P179~181, 1999. 10. 15. (ウルグアイ)


という「久保木氏」と御父様の御言葉から、


サタン(天使長ルーシェル)の実体的存在である「金孝律氏」が、「神の日」制定後、お母様の前に現れ、「真の父母」の第一次七年路程勝利の「摂理的基台」によってお生まれになられた「摂理的長子」を地上に誕生させないように画策し、お母様の胎中に「サタンの種」を植え付けようとしました。


しかし、イエス様のときのように、間一髪で、逃れました。


2人目の長子として、「顕進様」は、「真の父母」の第一次七年路程勝利の「摂理的基台」によってお生まれになられた「初子」という立場で、それは、「真の父母」からこの地上に生まれた、「アダム」、「イエス様」、「再臨主としてお生まれになられたお父様」と同等な『摂理的使命を持ってお生まれになられた「長子」』であり「独生子」の立場であると言うことができると思います。


「サタン」は、お母様の胎中に「金孝律氏」を通して、『サタン(天使長ルーシェル)」の種』を植えることができず、この地上に「摂理的長子」が誕生することを阻止することができませんでした。


3人目の「国進様」は、「真のご家庭」においては、1970年7月17日、4男としてお生まれになられましたが


お父様の
「サタンが私の家庭に侵入することさえ許可しなければならなかった。」
という御言葉や「久保木氏」の証しの
「文夫人から当時小学一年生の長男孝進氏の世話を依頼されたのは、一九七〇年三月のことだった。」
また、
「昼の神は女である。女が神の弟の腹の上のまたがり、彼を堕落させたのだ。その過程において、彼女は下になり、神の弟を自分の上に乗せ、そして彼女は種を受けた。しかし彼らの子供たちは狂った者の子供たちで、彼らは天国へ行くことができない。」
(2012年1月11日江原道のホバン室内競技場で行われたお父様のスピーチの中で語られたお父様のコメント)
等から、サタンが、「顕進様」の血統に入ることができなかったが、「顕進様」のすぐ下の弟である、「国進様」に入ることができたと推測できます。


先回、「ヨイド訴訟(ヨイド・パークワン訴訟)」について国進様の関わりについてご説明しましたが、実は、2006年の4月の資料に、国進様が汝矣島(ヨイド)プロジェクト(韓国財団)の理事長になられた経緯が書かれています。
「gildongのブログ」タイトル「2006年4月真の家庭会議以後発生した状況に対する整理」に、


「お父様は、顕進様に法的な理事長の職位を持ってお父様が基盤を作られたすべての国に積極的に介入しなければならないといわれた。また、国進様には顕進様の下で副理事長で仕事をしなければならないという決定を下して下さった。ところが国進様はお父様の決定を絶対受け入れることができなくて辞任すると反発した。お父様の指示を拒否する国進様の行動は到底理解できないものだった。その上、その会議で、お母様が介入されてお父様が下した決定を翻意しようとされたことは非常に驚くことだった。」


「ところがその日の夕方、お母様は一人で静かに顕進様を訪ねてこられ、理事長職を国進様に譲歩しろと丁寧にお願いされた。もしそうしなければ国進様は辞任して離れるだろうとおっしゃった。顕進様は、お母様に国進様は離れないでしょうと申し上げながら、それは国進様が、お母様を心配するようにさせて自分が願うのを貫徹させようとする方法だとご説明申し上げた。しかし、お母様は繰返し理事長職を譲歩しろと頑強に主張しながら、顕進様は全てのものを持っているが国進様は何もないとおっしゃった。そして、顕進様があくまで理事長職をひきうけて国進様が韓国を離れることになれば、食口たちは、顕進様に対して弟を押し出した兄とののしるだろうし、真の家庭を恥ずかしめることになるだろう言われた。」


「これに対して国進様は全てを拒否して何も履行できないといった。その上、ご父母様との昼食時に、お母様は突然「これから国進がCCとヨンピョンの責任を負うだろう」と宣言された。お母様が約束を破られたことはもちろん、顕進様と一言の相談もなしに、国進様言葉だけを聞いてそのような決定を下されたのだった。その時、顕進様は再確認しようとしたが、お父様が直接介入されて防がれ、また、その時は天正宮の入宮式を迎え家庭が一つにならなければならない時期だったため、全体のために顕進様はその場でそれ以上問題視しなかった。」


と書かれています。


「お母様」が「国進様」を意向を一方的に受け入れ、決定された背景が、「反顕進様」の意志の表れだと単純に思っていましたが、


今までの状況を合わせて考察して見た時、
「お父様の血統を受け継いだ息子」ではなく、「天使長の血統を受け継いだ息子」の可能性が高いのではないかと推測するに至りました。


そういう意味で、「国進様」も、「天使長の血統を受け継いだ息子」の立場で、「お母様」の「長子」であると言えるのではないでしょうか。


もっと考察するための材料(資料)はありますが、「預言者mebiusuの独り言」の投稿をご参考してください。


「4人目のお母様の長子」は、「韓鶴子お母様御本人」と書きましたが、


「預言者mebiusuの独り言」タイトル「お母様の原点」に、


『お母様の出生の経緯で、お母様が、「再臨主」として生まれてくるという啓示が洪順愛大母様と聖主教の信徒達に降りて、生まれる瞬間まで、お母様が、「再臨主」として、男の子として生まれてくると全員が疑いもなく思っていたいうエピソードがあります。』


「お母様が、「再臨主」として生まれてくるという啓示は、お母様が、御父様の「娘」であるということを神様が示唆されたエピソードであると思います。」


とも書いてあります。


『私は一九五五年の後半から一九六二年まで鷺梁津で呉(故呉永春)執事、大母様と共に借家で一つの垣根の中で暮らしました。この期間に大母様と呉執事から北で信仰生活なさった事情についてたくさん聞きました。大母様と呉執事のお二人は、北で再臨主を迎えようという熱烈な信仰集団で血縁以上の姉妹としてお過ごしになりました。北の共産主義の虐政が日増しに極悪になって、この信仰集団にも例外なく迫害が加えられました。このような渦中にあっても、ひたすら再臨主を迎えようという信仰は火のように燃え上がりました。このとき、大母様が懐妊なされました。
 懐妊なさった大母様と食口たちに天の驚くべき啓示がおりました。唯一の望みが再臨主に出会うことだったのですが、天の啓示が、「順愛よ、おまえのおなかの中の赤子は再臨主であられる。貴く心に留めよ」というものでした。それだけではありません。複数の信徒たちにも「順愛のおなかの中の赤子は再臨主であられる。貴く心に留めて精誠を尽くしなさい」という啓示がありました。このような途方もない驚くべき啓示を受けて感謝と喜びと希望で再臨主とすぐにでも会ったような楽しいお祝いの雰囲気でした。待たれる再臨主の誕生日を指折り数えて待ちました。出産予定日になって大母様が再臨主を分娩されて、周囲が皆、希望していたことが現実として迫りました。
そのときのことを、真のお母様のご聖誕日を迎えて回想してみましょう。正に赤子は、この世に来られたことを天地に宣布する声と共に誕生しました。ところが当時、大母様とすべての信徒たちは喜びとともに一方では怪訝に思いました。再臨主と言われたのに男の子ではなく女の子が誕生したのです。このとき、神様は、どれほどもどかしかったことでしょうか。神様は、独り子を送り、貴く思って、信じて仕えて従うようにみ旨をくださったのに、男の子ではなく女の子だったのです。天の隠密な摂理のみ旨が分かりませんでした。』
(2003年発行「真の愛の勝利者」姜義弘女史(36家庭)の証より)


史吉子女史(36家庭)の証
『私は、一九六〇年に三家庭の祝福を受け、真のお母様に直接、しっかりと侍るべき立場になりました。そのためには、真のお母様の成長過程や、歴史的な背景を少し知らなければならないと思い、それらのことについて、大母様にも何度かお話を伺ったことがあります。
 大母様は初め、息子が生まれると思っていたということでした。神様は、「韓氏と結婚すれば息子、天の王子を送ってあげよう。」と、おっしゃったのですが、息子ではなく、娘だったのです。それで、“なぜ神様は、約束を守られなかったのだろう?”という疑問を、常に持ち続けておられたのだそうです。
(「真のお母様にお仕えして」史吉子の証(三家庭))


また、


投稿『お母様の歴史的事実 8 「後継者」に指名されたお母様と顕進様の台頭』に、


『先生一人でも真の御父母様の代身であり、お母様が一人でも真の御父母様の代身です。「レバレンド・ムーンが古稀を過ぎて七十を超えたのだから、後継者が出てくるのではないか」という、そのような言葉は片づけてしまうのです。レバレンド・ムーンの夫人は四十七歳にしかなっていません!


ですから今、先生が第一教主、それからお母様が第二教主だというのです。
(女性全体解放圏宣布)


とあります。


お母様は、大母様や当時の「聖主教」の多くの信徒から、「男の子」が生まれてくると思われ、祈られて御生誕されてきた経緯があります。


また、最近、「亨進様」が、「お父様とお母様の親子DNA]について言及されました。


『そして最後にもう一つあります。「DNAテストをして韓マザーが真のお父様の娘であることが判明した」というのです。それなら私の姉になるので、更にもっと非難すべきだということになります。それで王妃は言いました。全部本当だとしても、もちろん何の証拠もありませんが、まず彼らは離婚したということを認めました。二番目にそのようなことがあったとしても、み言を変え、お父様を消し去ったことを正当化できないと言ったのです。一つも正当化できないのです。』
(文亨進説教 2017年10月1日(日曜礼拝)  米国・サンクチュアリ教会)
https://nqj17437.wordpress.com/2017/10/04/


上記の内容より、「お母様」は、男としての「長子」ではないですが、潜在的にご自分を「長子」つまり、お父様の「後継者」と思われているのではないかと思われます。(現在はそれ以上の存在と思われているようですが。)


以上が、


「お母様の4人の長子 」は、


1人目は、孝進様


2人目は、顕進様


3人目は、国進様


4人目は、韓鶴子お母様御本人


という私の主張の根拠、説明(考察)となります。



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