farisuの真実の紐解き

「預言者mebiusu」の息子の「真実の紐解き」のブログです。

「イエス様の聖霊」、「御父様の聖霊」という「魔者」

「サンクチュアリ教会」は「天使長教会」と私は、思っています。


2015年1月11日 「沈黙を破って」』と言う亨進様の説教で、

9:35~
『なぜなら、お父様が私を「後継者」に任命されたからです。
未来にお父様の立場を受け継がなければならないことを、お父様が明らかにされたためです。勿論、メシヤの立場ではなく、教会の指導者として任命されました。』


とご自分の立場を明かにしているのなら、なぜ、そのようにしないのでしょうか。


「イエス様の聖霊役事」とか、「御父様の聖霊役事」とかいう清平の金孝南女史が言うような新しい「造語」を作り出し、実際、存在しない、「イエス様の聖霊」、「御父様の聖霊」を信徒に信じ込ませてしまっています。


「原理講論」の第七章 キリスト論 第四節 重生論と三位一体論 (一) 重生論 (1) 重生の使命から見たイエスと聖霊 に、


『ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。
 このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントI一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。


(3) イエスと聖霊による霊的重生 に


父母の愛がなくては、新たな命が生まれることはできない。それゆえ、我々がコリントI一二章3節に記録されているみ言のように、聖霊の感動によって、イエスを救い主として信じるようになれば、霊的な真の父であるイエスと、霊的な真の母である聖霊との授受作用によって生ずる霊的な真の父母の愛を受けるようになる。そうすればここで、彼を信じる信徒たちは、その愛によって新たな命が注入され、新しい霊的自我に重生されるのである。これを霊的重生という。ところが、人間は霊肉共に堕落したので、なお、肉的重生を受けることによって、原罪を清算しなければならないのである。イエスは、人間の肉的重生による肉的救いのため、必然的に、再臨されるようになるのである。』


(二) 三位一体論 に


『創造原理によれば、正分合作用により、三対象目的を達成した四位基台の基盤なくしては、神の創造目的は完成されないことになっている。したがって、その目的を達成するためには、イエスと聖霊も、神の二性性相から実体的に分立された対象として立って、お互いに授受作用をして合性一体化することにより、神を中心とする四位基台をつくらなければならない。このとき、イエスと聖霊は、神を中心として一体となるのであるが、これがすなわち三位一体なのである。


『それゆえ、神はイエスと聖霊を、後のアダムと後のエバとして立て、人類の真の父母として立たしめることにより、堕落人間を重生させて、彼らもまた、神を中心とする三位一体をなすようにしなければならないのである。しかし、イエスと聖霊とは、神を中心とする霊的な三位一体をつくることによって、霊的真の父母の使命を果たしただけで終わった。したがって、イエスと聖霊は霊的重生の使命だけをなさっているので、信徒たちも、やはり、霊的な三位一体としてのみ復帰され、いまだ、霊的子女の立場にとどまっているのである。ゆえに、イエスは自ら神を中心とする実体的な三位一体をつくり、霊肉共に真の父母となることによって、堕落人間を霊肉共に重生させ、彼らによって原罪を清算させて、神を中心とする実体的な三位一体をつくらせるために再臨されるのである。このようにして、堕落人間が神を中心として創造本然の四位基台を造成すれば、そのとき初めて、神の三大祝福を完成した地上天国が復帰されるのである。』


と書かれています。


「イエスと聖霊」とあるように、イエスと「聖霊」は、別個の存在です。


「真の父母様」に対して、「真の父の母」とは呼ばないでしょう。


「イエス様」自体、イエス様の「霊人体」があり、「聖霊」自体に、固有の形状はありませんが、「霊的形状」(女性神)を備えた存在であるわけです。


「イエス様の聖霊」、「御父様の聖霊」という言葉は、聞こえがよく、魅力的ですが、「原理的」ではないことが解かります。


「イエス様の聖霊役事」とか、「御父様の聖霊役事」とかいう言葉は、存在しない「霊的役事」をもっともらしく、ある意味、騙すことができる言葉として使われていると思われます。
この表現は、金孝南さんの「絶対善霊」とか「役事」という言葉を想起させます。


インターネットで、「イエス様の聖霊」、「御父様の聖霊」で検索して見てください。


一般のクリスチャンで、そのような概念は皆無であることが解かります。


「サンクチュアリ教会」でしか、使われていないと思われます。


清平の役事を批判しながら、同じ手法で、シックを騙しているといっても過言ではないでしょうか。


そのことに、気づいた「サンクチュアリ教会」に入ったシックは、天使長の巧妙な罠にはめられていたことに驚きを持つ事と思います。


「教会の指導者」として、御父様より、御使命された方が、「メシア」になろうとしたために、「イエス様の聖霊」、「御父様の聖霊」という「魔者」を動員して、シックの「原理観」を大きく歪めてしまっているように思われます。


私たちは、天使や霊人、聖霊を通して、啓示を受けたり、癒しを受けたりします。「聖霊体験」といいます。私も数多くあります。「神様」御本人と思われるような啓示も受けています。


「イエス様」や「御父様」と霊的に交流することもあると思いますが、それは、「イエス様の聖霊」、「御父様の聖霊」でもありません。「イエス様」、「御父様」御本人との交流であるべきです。
「イエス様の聖霊」、「御父様の聖霊」は、「イエス様を語る魔者」、「御父様を語る魔者」ではないですか。


耳障りのいい言葉には、気をつけたほうがいいと思います。


「イエス様」は、「アダム」
「御父様」も「アダム」です。


「聖霊」は、「エバ」です。


「サンクチュアリ教会」の中には、「聖霊」を「創造を実現する情的エネルギー」みたいなことをいわれる方もいるようですが、「原理的解釈」ではなく、本人の独自的解釈でしかありません。


「夜の神と昼の神とがある。そして夜の神は間違いを犯さなかった。身体の神としての昼の神が堕落した。夜の神が男性であるとしたら、昼の神は女性だ。そして彼女が堕落した。エバは神の弟にまたがった。そしてアダムの年下のいとこが事態を逆さまにしてしまった。そのような原理はないし、創造のプログラムの中にそれは見当たらない。昼の神は女である。女が神の弟の腹の上のまたがり、彼を堕落させたのだ。その過程において、彼女は下になり、神の弟を自分の上に乗せ、そして彼女は種を受けた。しかし彼らの子供たちは狂った者の子供たちで、彼らは天国へ行くことができない。事態をどう再逆転すべきかを誰も知らない。ただレバレンド・ムーンだけが知っている。天地人真の父母によって、夜の神と昼の神は解放された。どうして被造物が創造主を解放できるのか? どうしてそんなことが起こり得るのか?」 (2012年1月11日江原道のホバン室内競技場で行われたお父様のスピーチの中で語られたお父様のコメント)


と御父様も言われています。



「すなわち聖霊は女性神であられる」ということで、「聖霊」を「昼の神」と御父様は、晩年に言われています。


「聖書」に傾倒しすぎると、「原理」を無視し、「非原理的解釈」が正しいと思い込むようになると思われます。


「メシヤの立場ではなく、教会の指導者として任命」された「お父様の御指示」を無視し、「2代王」と名乗り、「真の父母」の存在になられている亨進様御夫妻は、
御父様の御言葉を「無視」し続けているということが言えませんか。


亨進様御夫妻を「教会の指導者」として侍ることは、何の問題もないと思われます。
しかし、亨進様御夫妻においては、お父様のみ言葉に反旗をかがげているのですから、
何らかの蕩減は払わざるを得なくなるでしょう。




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