farisuの真実の紐解き

「預言者mebiusu」の息子の「真実の紐解き」のブログです。

お父様の「裏切りの数々」の考察 まとめ 2

『三十年目に女性解放を宣布したのです。それゆえに、先生一人でも真の御父母様の代身であり、お母様が一人でも真の御父母様の代身です。「レバレンド・ムーンが古稀を過ぎて七十を超えたのだから、後継者が出てくるのではないか」という、そのような言葉は片づけてしまうのです。レバレンド・ムーンの夫人は四十七歳にしかなっていません!
ですから今、先生が第一教主、それからお母様が第二教主だというのです。』

(一九九〇年三月二十七日(陰三・一)、米国において挙行された第三十一回「父母の日」記念礼拝)(女性全体解放圏宣布)


・1990年3月 「レバレンド・ムーンの夫人は四十七歳にしかなっていません!
ですから今、先生が第一教主、それからお母様が第二教主だというのです。」


この御言葉は、御父様が、御聖和された後において、第二教主であるお母様が「後継者」となることを御父様は、宣言されていることになります。


・1999年9月 御父様は、「母子協助時代」が過ぎ去り、「父子協助時代」に入ることを宣言され、


「今までの復帰歴史においては母子が協助してきましたが、母子協助時代が過ぎ去るのです。蕩減の歴史は母子、オモニと息子娘が犠牲となって復帰されましたが、9.9節を宣布して南北が統一される運勢に入り、父子協助時代に入るのです。オモニはいなくてもかまいません。オモニはいくらでも探し立てることができます。」
資料:み言選集 311巻264ページ 1999.09.09 <天地父母天宙統一解放圏宣布>


とお母様の「後継者」問題を否定され、「顕進様」を「後継者」として立てようとされました。


御父様は、「お母様の後継者になる夢」を打ち砕きました。御父様は、「お母様」が「第二教主として御父様の後継者になること」に対するお母様の思いを推し量ることができず、お母様に「後継者」になることをあきらめるように、お母様を批判する御言葉を語り始めました。


『オモニが中心ではないことを知らなければなりません。どこまでもアボジが中心です。生命の根、主体は男性です。自分が先生よりも上だと思うことは天に反逆することになるというのです。先生の前で大口をたたいてはならないというのです。先生が行く道を知らないでしょう。そうではありませんか。「はい」』
出典:み言選集295巻158ページ、1998年8月19日


それから、「お母様」は、「金孝律氏」と共に、「父子協助時代」という御父様の摂理を受け入れず、仁進様、国進様、亨進様を巻き込んで、「父子協助時代」の中心人物「顕進様」を摂理から排除する動きが始まりました。


御父様は、その動きにを止めることができず、「お母様」の計画を容認するようになりました。
2006年4月 『お母様は突然「これから国進がCCとヨンピョンの責任を負うだろう」と宣言された。』ことに対して、「お母様」と「国進様」をいさめることも無く、御父様ご自身が、「顕進様」を摂理から排除する動きに加担されるようになって行きました。


2005年5月、『望みをかけている息子・亨進』
み言葉選集 496-37-2005.5.13(金)漢南洞国際研修院


「顕進もそうだ。自分の勝手にするだろう?」


御父様は、「顕進様」を「後継者」に立てようとされましたが、「お母様」に意向を受け入れ、「顕進様」を摂理から排除して、「亨進様」を立てるようになりました。


お母様の「2009.3.8束草での「顕進様」の「絶対性の問題発言」により、後に、


≪2010年8月1日 訓読会での真のお父様のみ言≫


「2世達、しっかりしなければなりません。顯進がついて来いと言えば顯進について行くのですか?父母は二人ではありません。妻が三人、四人いてはいけません。2世達、よく聞きなさい。いいですか。」


と御父様は、「顕進様」に関して語られるようになりました。


「顕進様」は、「お母様に押し切られてしまった御父様」と「お母様」によって、摂理から「排除」させられてしまいました。「顕進様」は、「真の父母」に裏切られたのです。


それ以降、「亨進様」が世界会長という立場で、御父様に侍りましたが、


2012年、御父様は、「顕進様」が御生まれになられた1969年、直後のことを比喩を持って語られました。


「夜の神と昼の神とがある。そして夜の神は間違いを犯さなかった。身体の神としての昼の神が堕落した。夜の神が男性であるとしたら、昼の神は女性だ。そして彼女が堕落した。エバは神の弟にまたがった。そしてアダムの年下のいとこが事態を逆さまにしてしまった。そのような原理はないし、創造のプログラムの中にそれは見当たらない。昼の神は女である。女が神の弟の腹の上のまたがり、彼を堕落させたのだ。その過程において、彼女は下になり、神の弟を自分の上に乗せ、そして彼女は種を受けた。しかし彼らの子供たちは狂った者の子供たちで、彼らは天国へ行くことができない。事態をどう再逆転すべきかを誰も知らない。ただレバレンド・ムーンだけが知っている。天地人真の父母によって、夜の神と昼の神は解放された。どうして被造物が創造主を解放できるのか? どうしてそんなことが起こり得るのか?」 (2012年1月11日江原道のホバン室内競技場で行われたお父様のスピーチの中で語られたお父様のコメント)


「お母様と金孝律氏」は、その御言葉を受けて、動きだしました。


4月に御父様の御言葉選集の削除の指示をし、お父様の御言葉の削除をすることにより、御父様の命を弱らせてしまいました。


「しかし彼らの子供たちは狂った者の子供たちで、彼らは天国へ行くことができない。」


御父様は、6月に、国進様、亨進様のカインアベルの勝利の儀式をし、「天使長の血統」を「御父様の血統」につなげるために、8月3日、


「顕進なくして基元節はありえない」
「すべてを壊したオンマ(お母様)と金孝律は責任を取りなさい。」


という御言葉を語りました。


上記の二つの御言葉は、


「お母様と金孝律氏」の関係を暴露し、亨進様に対する御父様の本音を通達した御言葉で、「昼の神であるお母様」と「神の弟である金孝律氏」と「彼らの子供たちは狂った者の子供たちである国進様、亨進様」は、御父様の「裏切り行為」に対して、「御父様を霊界に送る」決意をするようになったと思われます。もちろん、悔い改めにより、「救い」の道はあったと思われます。世界会長である亨進様は、「顕進様」に連絡をして、和解の道を実現すべきであったと思われます。


8月12日、聖母病院に検査入院されたお父様は、重症の肺炎を医師により宣告され、「絶対安静」の指示を受けました。


病院に面会に行かれた「お母様」と「亨進様」は、退院させれば、「死亡」する可能性を十分に認識しながらも、御父様を退院させた。


そして、重度の肺炎と多咳をされていた御父様に「豆粥」を食べさせ、聖母病院に一般車両で移動中、食した「豆粥」が、気道に入り、心拍の一時停止に至ってしまい、蘇生するも身体に重大なダメージを受けてしまい、聖母病院で治療をするが、「安楽死」をお母様と金孝南女史が希望し、聖母病院では法的に不可能なため、清平の清心病院に、強制的に転院させ、3日経つ事もなく、聖和されました。


御父様の「裏切り行為」が、悲惨な最期をもたらしてしまったと言えると思います。


御父様の御聖和後は、「後継者」は、「お母様」となりました。


・1990年3月 「レバレンド・ムーンの夫人は四十七歳にしかなっていません!
ですから今、先生が第一教主、それからお母様が第二教主だというのです。」


結局、この御言葉が成就されてしまいました。


この御言葉を、破棄して、「顕進様」を立てようとされたお父様は、特別な経緯でお生まれになられた「お母様」に人生を翻弄され、「再臨主」としての使命を十分に成し遂げることなく終えられたと私は思います。


お母様は、「再臨主」としてお生まれになるという「啓示」の中でお生まれになられています。
御父様がすでに「再臨主」としてお生まれになられているにも関わらず、「再臨主」としてお生まれになられると言う「啓示」を受けて、聖主教信徒に祈られながらお生まれになられています。


姜義弘女史(36家庭)の証
『私は一九五五年の後半から一九六二年まで鷺梁津で呉(故呉永春)執事、大母様と共に借家で一つの垣根の中で暮らしました。この期間に大母様と呉執事から北で信仰生活なさった事情についてたくさん聞きました。大母様と呉執事のお二人は、北で再臨主を迎えようという熱烈な信仰集団で血縁以上の姉妹としてお過ごしになりました。北の共産主義の虐政が日増しに極悪になって、この信仰集団にも例外なく迫害が加えられました。このような渦中にあっても、ひたすら再臨主を迎えようという信仰は火のように燃え上がりました。このとき、大母様が懐妊なされました。
 懐妊なさった大母様と食口たちに天の驚くべき啓示がおりました。唯一の望みが再臨主に出会うことだったのですが、天の啓示が、「順愛よ、おまえのおなかの中の赤子は再臨主であられる。貴く心に留めよ」というものでした。それだけではありません。複数の信徒たちにも「順愛のおなかの中の赤子は再臨主であられる。貴く心に留めて精誠を尽くしなさい」という啓示がありました。このような途方もない驚くべき啓示を受けて感謝と喜びと希望で再臨主とすぐにでも会ったような楽しいお祝いの雰囲気でした。待たれる再臨主の誕生日を指折り数えて待ちました。出産予定日になって大母様が再臨主を分娩されて、周囲が皆、希望していたことが現実として迫りました。
そのときのことを、真のお母様のご聖誕日を迎えて回想してみましょう。正に赤子は、この世に来られたことを天地に宣布する声と共に誕生しました。ところが当時、大母様とすべての信徒たちは喜びとともに一方では怪訝に思いました。再臨主と言われたのに男の子ではなく女の子が誕生したのです。このとき、神様は、どれほどもどかしかったことでしょうか。神様は、独り子を送り、貴く思って、信じて仕えて従うようにみ旨をくださったのに、男の子ではなく女の子だったのです。天の隠密な摂理のみ旨が分かりませんでした。
(2003年発行「真の愛の勝利者」姜義弘女史(36家庭)の証より)


この証は、お母様が「御父様の血統」を受け継いでお生まれになられていること、将来において、反キリストの立場に立たれ、キリストを打ち、ご自分が「キリスト」を「主張」されると言う「暗示」が示唆されていると思われます。


お母様が「第二教主」(後継者)に執着されたのは、上記のような「運命」を背負ってお生まれになられていたということではないかと思います。

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