farisuの真実の紐解き

「預言者mebiusu」の息子の「真実の紐解き」のブログです。

金孝律氏編 3  分断された真のご家庭

NO 56 「金孝律氏編 3  分断された真のご家庭」


<金孝律氏編 3  分断された「真のご家庭」>


今回は、「真のご家庭」に何が起きたのかを考察していきたいと思います。


以前、投稿した内容を整理しながら、見ていきたいと思います。


私が推測している「お母様と金孝律氏の関係」を確信させた内容があります。


投稿『「真の御家庭」の断層』で考察していますが、


インスピレーションを受けて、御子女様の誕生年の一覧を作りました。


その一覧が、重要な情報となり、「真のご家庭」に何が起きたのかが見えてきました。


今回は、その一覧に「歴史的事実」を追加して、まとめていきたいと思います。


お父様 1920年 ご生誕
お母様 1943年 ご生誕
金孝律氏 1947年 生誕


ということで年齢を入れています。間違っていましたらご指摘願います。


文誉進 1960年 ( 御父様 40歳 金孝律氏 13歳 お母様 17歳 )
文孝進 1962年 ( 御父様 42歳 金孝律氏 15歳 お母様 19歳 )
文恵進 1963年 ( 御父様 43歳 金孝律氏 16歳 お母様 20歳 )
文仁進 1965年 ( 御父様 45歳 金孝律氏 18歳 お母様 22歳 )
文興進 1966年 ( 御父様 46歳 金孝律氏 19歳 お母様 23歳 )
文恩進 1967年 ( 御父様 47歳 金孝律氏 20歳 お母様 24歳 )
文顕進 1969年 ( 御父様 49歳 金孝律氏 22歳 お母様 26歳
文國進 1970年 ( 御父様 50歳 金孝律氏 23歳 お母様 27歳
文權進 1975年 ( 御父様 55歳 金孝律氏 28歳 お母様 32歳 )
文善進 1977年 ( 御父様 57歳 金孝律氏 30歳 お母様 34歳 )
文榮進 1978年 ( 御父様 58歳 金孝律氏 31歳 お母様 35歳 )
文亨進 1979年 ( 御父様 59歳 金孝律氏 32歳 お母様 36歳 )
文妍進 1981年 ( 御父様 61歳 金孝律氏 34歳 お母様 38歳 )
文情進 1982年 ( 御父様 62歳 金孝律氏 35歳 お母様 39歳 )


以上の内容は、過去に起きた事実ですので、変えることはできません。


14名の御子女様が御生誕されています。


私が、この一覧から気づいたことは、


1.上から7番目が顕進様
2.下から7番目が國進様


ということです。


「顕進様」と「國進様」が、御子女様の誕生年の一覧から見る限り、中心的位置におられる事が解ります。


「歴史的事実」として、「顕進様」と「國進様」の交流は、どうでしたでしょうか。


「2006年4月真の家庭会議以後発生した状況に対する整理(gildongのブログ)」
・<お母様、顯進様、國進様が一つになったという特別儀式 於:ハワイキングガーデン>(2008年4月6日、第49回真の父母の日)(希望の夜明け《摂理的葛藤史》)


にあるように、「顕進様」と「國進様」は、一体化するどころか、対立をを深めて行きます。


「御子女様の誕生年の一覧」に他の歴史的事実を追加してみます。


1960年「真の父母」御成婚


文誉進 1960年 陰暦3月1日「父母の日」、陰暦10月1日「子女の日」
文孝進 1962年
文恵進 1963年 陰暦5月1日「万物の日」
文仁進 1965年
文興進 1966年
文恩進 1967年 「お母様の7年路程勝利」


    1968年 1月1日「神の日」


文顕進 1969年
文國進 1970年
文權進 1975年
文善進 1977年
文榮進 1978年
文亨進 1979年
文妍進 1981年
文情進 1982年


となります。


上記の一覧で、「顕進様」と「國進様」の摂理的御関係が見えてきます。


上記の一覧に、お父様の御言葉や金孝律氏の情報を入れてみます。


1960年「真の父母」御成婚


文誉進 1960年 陰暦3月1日「父母の日」、陰暦10月1日「子女の日」


文孝進 1962年
文恵進 1963年 陰暦5月1日「万物の日」
文仁進 1965年
文興進 1966年
文恩進 1967年 「お母様の7年路程勝利


     1968年 1月1日「神の日


『「神の日」の決定と同時に、先生の使命は完成されました。』(真の御父母様の生涯路程 10 五 四大名節の制定と七年路程の勝利)


『金孝律(ピーター・キム)氏は、一九六五年に統一教会に入教、その後二年半、開拓伝道師と教会長を務め、一九六八年にはソウルの韓国文化部で雑誌の編集に携わった。文夫人から当時小学一年生の長男孝進氏の世話を依頼されたのは、一九七〇年三月のことだった。それ以来今日に至るまで、金氏は文師の家庭と生活を共にしてきた。』
 (久保木修己監修「文鮮明師とダンベリーの真実」(1989年 光言社刊))


文顕進 1969年
文國進 1970年「文夫人から当時小学一年生の長男孝進氏の世話を金孝律氏に依頼」


サタンが私の家庭に侵入することさえ許可しなければならなかった。そうだよ。ありとあらゆることが起きたよ。孝進を見るたび、孝律(ピーター金)の顔を殴りたくなる。」
(文鮮明師御言選集Vol. 312 P179~181, 1999. 10. 15. (ウルグアイ))


文權進 1975年
文善進 1977年
文榮進 1978年
文亨進 1979年
文妍進 1981年
文情進 1982年


となります。


・1970年「文夫人から当時小学一年生の長男孝進氏の世話を金孝律氏に依頼」されたその年に、「國進様」がお生まれになっています。


以上の内容から、


「お母様」から、お父様が後に『「サタンが私の家庭に侵入することさえ許可しなければならなかった。』と言われた「金孝律氏」を「國進様」がお生まれになられた、1970年に、お父様に依頼されて、お父様が、上記のような状況にも関わらず了承された、という事情が、確認できます。


資料1.


「すべてを壊したオンマ(お母様)と金孝律は責任を取りなさい。」
2012年8月3日朝の訓読会にて。


資料2.


「夜の神と昼の神とがある。そして夜の神は間違いを犯さなかった。身体の神としての昼の神が堕落した。夜の神が男性であるとしたら、昼の神は女性だ。そして彼女が堕落した。エバは神の弟にまたがった。そしてアダムの年下のいとこが事態を逆さまにしてしまった。そのような原理はないし、創造のプログラムの中にそれは見当たらない。昼の神は女である。女が神の弟の腹の上のまたがり、彼を堕落させたのだ。その過程において、彼女は下になり、神の弟を自分の上に乗せ、そして彼女は種を受けた。しかし彼らの子供たちは狂った者の子供たちで、彼らは天国へ行くことができない。事態をどう再逆転すべきかを誰も知らない。ただレバレンド・ムーンだけが知っている。天地人真の父母によって、夜の神と昼の神は解放された。どうして被造物が創造主を解放できるのか? どうしてそんなことが起こり得るのか?」 (2012年1月11日江原道のホバン室内競技場で行われたお父様のスピーチの中で語られたお父様のコメント)


資料3.


『本体論の講義の中で、劉会長は文先生のお話として、
ルーシェルがエバを堕落させたのではなく、エバがルーシェルを堕落させた
と何度も強調されるようになったと明かされました。』
 「教育部長の講義日記」タイトル「堕落の張本人は誰か」 2012/07/08投稿
・その本体論を「お母様」が学ぶように御父様の指示があったということです。


等から、


「お母様」と「金孝律氏」との間に、「真のご家庭」を分断させた「あってはならない出来事」が起きえた可能性が浮かび上がってきます。


「お母様」を中心として、「お父様の血統を受け継ぐ御子女様」と「天使長の血統を受け継ぐ(実体的および霊的)御子女様」が「真のご家庭」に存在する「特異な真のご家庭」となってしまったということが、可能性として、挙げられます。


また、見方を変えれば、「真のご家庭」に「お母様」を中心として、「真の父母」と「偽りの父母」が存在するようになってしまったといえることができると思います。


...................................................................


今回の投稿を確認することを通し、第一のお母様の失敗により、後の「真の父母」、「真のご家庭」に、当時、予想だにできない、「蕩減による試練の道」が、起こりえる状況が生まれてしまったと思わざるをえません。


「真の御父母様」は、1971年、12月18日に渡米されたとあります。


1970年にお生まれになられた「國進様」ですが、その時に、お父様が、「サタンが私の家庭に侵入することさえ許可しなければならなかった。」と言われたその翌年に、「真の御父母様」は、「天使長国家」といわれる「アメリカ」に行かれたのも「韓国」に留まることができず、「蕩減復帰」をかけて、渡米しなければならなかったのかも知れません。


摂理的に「渡米」は予定されていたものであったのかもしれませんが、「真の御父母様」、特に「真のお父様」が抱えてしまった「重荷」は、本来、背負うことの無かった内容であったと思います。


私は、素朴な疑問を持っています。


『サタンが私の家庭に侵入することさえ許可しなければならなかった。そうだよ。ありとあらゆることが起きたよ。孝進を見るたび、孝律(ピーター金)の顔を殴りたくなる。あいつめ。「あいつを殺してやる」と息子皆が言ったよ。孝進は「殴り殺す」と言っていた。顕進も国進も皆、「あいつら、殴り殺してやりたい」といった。』
〔文鮮明師御言選集Vol. 312 P179~181, 1999. 10. 15. (ウルグアイ)〕


その時、「お母様」は、その「金孝律(ピーター金)氏」に対して、どのように対応されたのでしょうか。
御子女様たちへのサタンの化身となった「金孝律氏」の虐待、サタン的教育に対し、孝進様の家庭教師としてお父様に依頼された「お母様」は、見て見ぬ振りをされていたのでしょうか。


「お母様」の「金孝律氏」に対する「愛情」が強まり、「お父様の血統を受け継ぐ「真の御子女様」の人生に無関心になって言った可能性があります。


「お母様」は、「お父様」にも無関心となっていったのではないでしょうか。


先日、スーパーマリーナで、「お母様」を拝見することが出来ましたが、「幸せ」から随分離れてしまった「お顔」になってしまったと、心が痛くなりました。


「原理講論」の「総序」に


「人間は、何人といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている。個人のささいな出来事から、歴史を左右する重要な問題に至るまで、すべては結局のところ、等しく、幸福になろうとする生の表現にほかならないのである。」


と書かれています。


「お母様」の「幸せいっぱいのお顔」を拝見することが出来る日を願っています。

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