farisuの真実の紐解き

「預言者mebiusu」の息子の「真実の紐解き」のブログです。

大母様の嘘の中の「真実」

No 31 『大母様の嘘の中の「真実」』2015-04-24


反統一教会の「ちゃぬさん」のブログ「ちゃぬの裏韓国日記」は、私に、大きな影響を与えました。


よく、調べていることがすばらしいと思います。


ちゃぬさんは、基本的に反統一教会と言うことで、もちろん、「真の父母様」を信じないでしょうし、文鮮明氏を再臨主とも、「真の父」とも信じていないと思います。


私は、「真の父母様」を信じていましたが、「お父様の御聖和」を通し、現在では、「真のお母様」は信じていません。


「真のお母様」は、「真の母」の位置を喪失していると思っています。


しかし、「真のお父様」の理想相対と言うことで、「真のお父様」の為に、なんとか、元の状態に戻ることは難しいとしても、


お母さまがされたと思われる「お父様殺害疑惑」を持っています。


金孝南氏の勧めによって、「安楽死」の実行をされたようですが、私は、その以前の、「聖母病院からのお父様の退院」をお母様と亨進様が、病院に申請されたこと、が、非常に、重要な問題を秘めていると思っています。医師より、「敗血症、肺不全により肺に水がたまっている重症な「肺炎」で、「絶対安静」を指示されていますが、お父様の命を最優先するのであれば、「聖母病院」にて入院を延長させるというごく普通の判断が、なされていないという信じられないことが起きています。


せめて、「お母様」が、お母様のなされたことが、「神様の喜ばれることではないこと:つまり、悔い改めることが必要であること」を、理解されることを望むものです。



なぜ、お母さまが、そんな状態となってしまったのか、ブログ「ちゃぬの裏韓国日記」の中に、答えがあるように思います。


今回は、タイトル『大母様の嘘の中の「真実」』としました。


まず、「大母様の嘘」ということは、何なのかについてみていきます。


といっても、ブログ「ちゃぬの裏韓国日記」を読めば、解ることです。


もちろん、「ちゃぬ」さんが言うことがすべて正しいとは言いません。


御自分でご判断してください。


今回の取りあげる、「大母様の嘘」は、「お母様の父親」が「韓承運氏」ではないということです。
実際は、教会が、「お母様の父親」が「韓承運氏」と言っているというほうが正しいと思われます。


長文になりますので、じっくり、読んでください。


タイトル「騙されるな!洪順愛大母様の証は教会の都合のいいように書き換えられている


私の投稿で何度か、紹介しています。


そのページの下のほうに、


■関連記事 が書かれています。


真のお母様誕生までの出生の秘密(血分け理論の奥義「父娘協助(父娘近親相姦)」の検証)
と言うことで、
真のお母様(韓鶴子)誕生秘話(1)~(11)
その他、


とありますので、じっくり読んでみてください。


その中でも、


「大母様は結婚しても夫とは一度も一緒に暮らしていないのに、お母様を妊娠した」


を読んでみてください。


その上で、「真のお母様(韓鶴子)誕生秘話(1)


を読んでみてください。


「1.韓鶴子の(本当の)父親の内容


洪順愛女史(大母様)は真のお母様の父親をどのように証しているか、見ていきたいと思います。


「真のお母様は、私が三十歳(満二十八歳)の時、つまり陰暦の一九四三年一月六日午前四時半、平安南道安州郡安州邑の信義里という村で生まれました。真のお母様の父親は、李龍道牧師の弟子でした。そして「洪唯一という人の娘を嫁にもらえ。その子供が男なら天宙の王になる。女なら天宙の女王になる」との啓示を受けました。私と二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました。
 私の家系は七代が善の功労を積み、ここ三代は、娘は一人だけの家系です。私には弟がいたのですが、日本に留学していたため、私の親は真のお母様の父・韓承雲氏を婿養子として迎えようとしました。ところが主体性の強い彼は「それはできない」と、出ていってしまいました。真のお母様がおなかにいる七か月目のことでした。生まれてからも、私の親が真のお母様を離さなかったので、私とはそのまま別れてしまったというわけなのです。」
(洪順愛大母様の証1973年12月21日・東京教会にて)



この文章には、ちょっとした秘密があります。


「真のお母様の父親は、李龍道牧師の弟子でした。」= 韓承運氏のことです。


洪順愛大母様と韓承運氏が結婚した事になっているのは、いつでしょうか。


「1934年3月5日」と言うことになっています。


「1943年1月6日」と言うことになっています。(お母様の実年齢に関しての疑惑あり)
2月から3月に、洪順愛大母様が妊娠したのならば、お母様の出生は、12月2日が、出産予定日になると言うことです。


洪順愛大母様と韓承運氏が結婚してから、お母さまが生まれるまで9年となります。


「そして「洪唯一という人の娘を嫁にもらえ。その子供が男なら天宙の王になる。女なら天宙の女王になる」との啓示を受けました。私と二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました。」


と言われているので、


李龍道牧師の弟子である韓承運氏が啓示を受け、(韓承運氏と)二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました、となってしまいますが、


洪順愛大母様と韓承運氏は。9年以上(当時では8年以上)も結婚してから経っています。


8年も寄り添った夫に対して、


「二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました」


と言う表現は、一般常識的に、されないと思われます。


されるとすれば、夫(韓承運氏)以外の男性との性的関係をした場合にのみ、そのように表現されるでしょう。


つまり、不倫したと言うことになります。(姦通罪を犯したことになります。)



しかし、


「大母様(洪順愛)と鶴子夫人の父親と言われている韓承運氏とは一度も同居したことがありません。長男の嫁として結婚したにも関わらず、儒教の韓国で同居しないなどとそんなことは絶対にありえません。」


とちゃぬさんは、主張されています。


つまり、韓承運氏との結婚話は、全くの「嘘」であると言うことです。


もし、


洪順愛大母様と韓承運氏が結婚が偽証結婚(結婚の事実が無い)であれば、


「二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました」という洪順愛大母様の証は、


お母様の事実上の父親について、「真実」を語られていると思われます。


韓承運氏との結婚話は、全くの「嘘」であるには、事情があると思われます。


お母様の事実上の父親をおおやけに出来ない事情があったと思われます。


洪順愛大母様が「二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました」相手の方が、「真のお母様」の「夫」である事は、当時においても大変な問題であったと思われます。


なぜ、洪順愛大母様が「二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました」などと言う言葉を語られたのでしょうか。


8年寄り添った夫がいると言う設定であれば、「二月の終わりに出会い」と言うような言葉を言うべきでないことは、明らかです。


私は、その言葉に、


聖書の「こうして、マリヤは彼女の所におよそ三か月とどまり、そして自分の家に戻った。」
(ルカ1:56)


を想起させられます。


洪順愛大母様は、マリヤのごとく、祭司長ではなく、「再臨主」と出会い、お母様を生まれたのではないでしょうか。


マリヤから、無原罪の独生子であるイエス・キリストが生まれてきたように、


再臨主である文鮮明氏と関係を持った、洪順愛大母様から生まれた「お母様」は、「女」であるけれども、イエス・キリストごとく、「無原罪」で、生まれていたと言う立場で、「独生女」と呼ばれても何の問題もないと思われます。


教会が、作った、「嘘」の中に、洪順愛大母様の「真実」の言葉が、私には、洪順愛大母様のお父様への気持ちと、娘である「お母様」への娘に対する、精一杯の伝言のように思えてしまいます。


............................................


長文となってしまいますが、


◇信者の証言1(北から避難し、文教祖に会った年齢)
『当時の環境は共産主義の虐政が次第に極悪になり、宗教弾圧が深刻になっていった時でしたが、六・二五動乱が勃発して、世の中はすっかり修羅場となりました。生命が危うくなるので信徒たちも各自が生きる道を探し、避難しながら散り散りになりました。このとき、真のお母様は六歳であり、大母様はお一人で幼いお嬢さんを背負って南韓に避難してこられました。その困難な避難の道でも、天が直接にお導きになって南韓のソウルに無事到着されました。このとき、大母様の弟さんが国軍将校としておられました。落ち着き先はこの弟の家でした。
 独り娘を送ってくださるという天の隠密な啓示がありましたが、男の子ではなく女の子だったので、北での天の啓示は完全に忘れられていたようでした。その中で大母様は、至誠を尽くして真のお母様を養育されながらも、再臨主に会わなければという一つの希望だけでした。そのように過ごしているとき、北での信仰の姉妹から再臨主が青坡洞におられるという便りを聞き、急いで娘を連れて「さあ、再臨主様に敬拝を捧げに行こう」と言って、何とか青坡洞の教会を訪ねていかれました。そのとき、真のお母様は八歳でした。』
(2003年発行「真の愛の勝利者」姜義弘の証より)


・1950年の6.25動乱(朝鮮戦争勃発)のとき6歳

・最初に文教祖に会った年齢が8歳


1943年生まれだと1950年当時、満7歳(数え8歳)にならなければおかしいのです。


◇信者の証言2(洪順愛大母様が娘を出産後、聖主教の金聖道ハルモニが夢枕に立つ時期)
洪順愛大母様が信仰していた聖主教の教主の金聖道ハルモニは1944年4月1日に亡くなっていると統一教会は公式に発表しています。


洪順愛大母様が娘の韓鶴子夫人を生んだ一週間後に亡くなった金聖道ハルモニが夢枕に立ったと洪順愛大母様本人が証をしています。


『のちに洪順愛ハルモニが女児を出産した時、七日目に、すでに亡くなっていた金聖道ハルモニが現れて、あなたの娘はあなたのものではなく、神様の娘だから、あなたは大切に育ててこの娘を神様に捧げなければいけない、と語ったということである。亡くなる時にハルモニは、「将来、性の問題で社会から迫害される教会があったら、そこに行け。そこに行けばメシヤに出会える」と語った。』
(教会発表:「受難の現場統一教会受難とその真相」 柳光烈の説明より)



金聖道ハルモニが亡くなったのは、韓鶴子夫人が生まれた後ですから韓鶴子夫人は少なくとも1944年4月1日以降に生まれていなければ辻褄が合いません。


金聖道ハルモニの亡くなった日付を文教祖が金聖道ハルモニの息子の鄭錫天氏に問うている場面がみ言葉にあります。


『ところがこれは解放される約七年前から、準備しなければならなかったのです。(先生がチョンソクチョン長老に、母親がいつ死んだかと問えば、解放直前と答える)』
(再臨期における洗礼ヨハネ的使命の生活と我々の覚悟 1960年1月6日 前本部教会)


金聖道ハルモニの息子の鄭錫天氏は母親は解放直前に亡くなったと答えています。解放とは韓国で1945年8月15日、日本における終戦のことです。


1944年4月1日に亡くなったと教会では公表していますが、息子は「1945年8月15日の直前」と亡くなった日付を表現しています。
もし1944年4月1日に亡くなったのならば「解放の一年前」と表現するのではないでしょうか?


洪順愛大母様が娘の韓鶴子夫人を生んだ後、亡くなった金聖道ハルモニが夢枕に立ったのは少なくとも1944年4月1日以降で、金聖道ハルモニの亡くなった日が「解放直前」ならば1945年8月ごろとなり、韓鶴子夫人が生まれた日付が公表されている日付より1、2年あとになります。
お母様誕生日捏造疑惑


御父様が日本から帰国されたのが1943年10月とされていますので、1943年2月(陽暦)にお生まれになられた「お母様」の父親になることができないとされていますが、「お母様の出生年』自体が、2年早められていたとしたらどうでしょうか。


御父様と洪順愛大母様は、同郷で、同じ聖主教団に所属していました。


二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました


この大母様の不自然な証は、御父様とお母様が「父娘」であることを示唆していても不思議ではないと思われます。
そもそも、当初はお父様とお母様が「ご夫婦」になる予定などなかったわけですから。


23歳も歳が違う相手を「相対者」として選ぶということ自体が普通ではないと私は思います。お父様はご自分の「種」を通してお生まれになられた「お母様」を第一のお母様の失敗の 蕩減として選ばれたと思われます。


『アダムとエバが堕落するとき、天使長が姦夫サタンとなって、自分の愛する妻を奪い、息子と娘をすべて滅亡させ、その家庭と世界全部を破綻させたという、この事実をどのようにして忘れるというのですか?(中略)そのために(堕落世界は)近親相姦関係まで行くのです。近親とはだれのことですか?親子の関係です。一番近い愛の関係において混乱が起こるのです。(中略)ですから、天の反対の立場であるサタンは、世の中で貴いということのすべてを奪っていったのです。神様が最も貴く考えるのは、近親絶対理想的相対関係であり、近親相姦関係ではありません。それを近親相姦関係にしてしまったというのです。』
(「七・八節」(天地父母天宙安息圏宣布)の御言1997年8月9日九里市水澤洞・中央修練院 )

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