farisuの真実の紐解き

「預言者mebiusu」の息子の「真実の紐解き」のブログです。

亨進様が顕進様に出された「最後の手紙」

今回は、「預言者mebiusuの独り言」より、『亨進様が顕進様に出された「最後の手紙」』と『「顕進様」の前に立つことができますか。「亨進様」』をご紹介します。


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・『亨進様が顕進様に出された「最後の手紙」』


2011.4.8


愛する兄弟の文顯進(兄):


「このような状況で、手紙を書くことが苦痛です。私は高校に通う時、あなたは私のロールモデル(模範)であり、父親のような方でした。あなたが見せてくれたあふれる愛はまだ私の胸の中に大事に保管しています。私は十代の時から多くのことがありましたが、家族と教会がかなりの苦痛を経験している現在の私達自身を見ると悲しみを禁じ得ません。あなたは、いつも私達を弟として教育する時、神様と真の父母様に「縦的にアライメントする必要がある」とされました。この教えは、原理的で真実です。ところが、そのように貴重な教えを下さったあなたが、その本質を忘れておられるのを見ると私の心は痛いです。あなたと私は真の父母様なくしては何でもない存在です。あなたも心の中の深いところで、これが真実であることを知っていると私は確信しています。是非、その良心の叫びに耳を傾けてください。


私はどのような道でも不完全です。私は一度もそのようになると宣言しておらず、そのようにしないでしょう。私達はすべて神と真の父母様の栄光の前に罪人です。我々は自分の行動や実践や実績のために、神の前に進むように許諾されたものではありません。むしろ、私達のような価値のない魂のために真の父母様が耐えてこられた蕩減と苦痛、拷問によって進むことができるのです。ですから、天におられる完全で父なる神と私たちの真の父母様の前に資格のない私達自身を認め、兄弟として一緒に悔い改めましょう。そして、この痛みを終わらせましょう。謙虚に悔い改めの心で涙を流してひざまずき、切実に赦しと恩寵を求めましょう。私達自身を愛することではなく、唯一の愛を受ける価値がある方、神様と神様の実体の代身者である天地人真の父母様、つまり、あなたと私の両親である救い主を愛しましょう。」



「まず、神の国と神の義を求めなさい」マタイ福音書6:33


亨進様には、「荷が重い、聖句なのかも知れません。」


「神の国と神の義」を求めて歩まれる兄、顕進様を仰ぎ見ながら、亨進様ご自身の存在価値を追い求めた結果が、「顕進様外し」という「真の御家庭の破壊」という形で現れたのかも知れません。


「第2王」になられた「今」、もう一度、この手紙を亨進様ご自身に読んでいただきたいと思います。


「もう引き戻すことはできない。」(ほんとうにもう、引き戻れないかも知れませんが)


「御父様の後継者」、「第2王」になれば、誰も、亨進様に


「なぜ、そのようなことをされたのですか?」


と質問されることはないと思われたのでしょうか。


隠しきれると思われているのでしょうか。


全てを知る「お母様」は、亨進様がののしっても、「亨進様の真実」を語らないでしょう。



顕進様のような「強さ」がないことを十分にご承知であると思います。



もしかしたら、「お母様」は、「亨進様」のために、「悪役」を買って出ておられるのかも知れません。



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・「顕進様」の前に立つことができますか。「亨進様」


「なぜなら、お父様が私を「後継者」に任命されたからです。
未来にお父様の立場を受け継がなければならないことを、お父様が明らかにされたためです。勿論、メシヤの立場ではなく、教会の指導者として任命されました。」


と亨進様自ら語られています。


「教会の指導者」は、「天使長」の立場です。


何がどうなって、「教会の指導者」から、「後継者」となり、「第二王」になられてしまわれたのでしょうか。


「顕進様」に帰ってこられることを誰よりも恐れておられる方が「亨進様」であると思います。


きつい言い方をすれば、「顕進様」に近づくこともできないと思います。「電話」もすることもできないでしょう。


と今日、書きました。


「亨進様」が、真に、「後継者」であり、「第二王」であるのであるならば、


「顕進様」の前に立つことなど何の問題もないのではないですか。


「顕進様」に「電話」され、あるいは、「メール」を送り、約束を取られ、


「顕進様」の前に立って、


「亨進様」が、真に、「後継者」であり、「第二王」であることを伝え、


お父様が実現されようとされた、


『分断された「真の御家庭」の修復』を実現されることができるのではないですか。


「亨進様」が「正しい」ことをされてこられたなら、


「顕進様」に謝罪することも必要ありません。


御父様の代身として、


堂々と「顕進様」の前に、立つことができるのではないですか。



「顕進様」が恐ろしくて、「電話」も、「メール」もできないのであれば、


「顕進様」の前に立つことも難しいのではないのですか。



「顕進様」の前に立つこともできない方を「霊界のお父様」は、


「亨進様」を「後継者」であり、「第二王」であると認めるでしょうか。



>「教会の指導者」は、「天使長」の立場です。


に関して、国進様のみ言葉があります。


日本サンクチュアリ協会 大分教会タイトル「牧会者、教会長は天使長の立場です」に、


先日の会議で江利川会長の報告の中で、国進様が「牧会者、教会長は天使長の立場です。王様は家庭の長である夫です。」と語られたと伺いました。


と書かれています。


このページで紹介されている「お父様のみことば  御旨と世界 198p」に


とても興味深い内容が書かれていました。


「諸星くると氏」が「天使長ルーシェルがアダムから「四大心情圏」を相続する」と主張されていますが、


お父様は全くそのようなことは、言及されていません。


「お父様のみことば  御旨と世界 198p 


発展の段階を見た場合、神はそもそも、実体界を造る前に天使界を造った。その天使界は、実体者としての理想を授けるところではない。それは目的に向かって過程を通過する期間と同じである。
それが、神を中心として、天使と一つになって、実体の相対圏を造り出したのが、それが万物世界である。


そして、天使と神が一つになって人間を造った。 神が霊的基準において相対圏を求めて造ったのが天使界で、実体者である人間が、神に向かって何かの感覚を授け、価値の刺激を与える立場ではない。
その道がないから、中間的天使界を通して、人間を創造する過程において、刺激されたいとして、天使を相対の立場に立たせて、あるいは讃美の立場に立たせ、あるいは相談する立場に立たせて人間を造った。 


天使は、人間が造られていく段階ごとに、相対的な感謝とか、刺激を神に与えることによって、人間を造る過程の喜びを得ることができる。自分なり消耗の立場に立っておりながら、天使長の神に対する讃美、あるいは慰めの刺激、喜びの条件を(もってして) 、神に刺激させ、人間を造る過程において喜びを得るようになっていた。


そういうふうにして、天使と共に人間を造った。そうすれば、人間というものは、天使的価値、目的を完成させるような立場に立たなければならない。あるいは、神の目的をかなえるような、二重の価値の基準に立ったのが人間である。だから、神は人間を目的としている。天使長は人間に対して希望をもって援助してやる。こう見れば、アダムという存在は、天使長の理想の完成者にならなければならない。そしてアダムというものは、神の理想の完成者にならなければならない。
我らはなぜ苦労をしなければならないか 1972.9.11」


このことについては、また、投稿してみたいと思います。



いまだに、なぜ、


『メシヤの立場ではなく、教会の指導者として任命された「亨進様」』が、


「教会の指導者」から、「後継者」となり、「第二王」になられたのかが解りません。


完全に「自己の位置」から離れてしまっているように思いますが。



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最近「聖書カルト」という言葉を知りました。


「聖書カルトの極めつけは、聖書の改竄(かいざん)です。「聖書にはこう書いてありますが、実はこういう意味です」と、書いてあることを変えてゆくのです。そのような書き換えが「~訳聖書」とか「~聖書注解」とか称されて、まるで聖書の翻訳や注解であるかのように出回ることもあります。これは、聖書の翻訳の形をした創作、注解の形をした創作です。聖書の学問的な校訂や本文の検討とは違います。当人たちが「信仰的に読めばこうなる」とする、聖書の書き換えです。それは「解釈の違い」でもありません。聖書に使われている単語も文法も時代背景も無視した改竄ですから、こういう解釈もあるとして成り立つ解釈の一つではないのです。」


聖書には、「神様」も「サタン」も最も関わりを持ってきた書物(啓示の書)です。


聖書には、多くの神様の摂理の秘密が書かれているといいます。


イエス様や再臨主である「御父様」が、「聖書」に隠されている秘密を解くのと私たちが「聖書」に触れるのとでは、大きな違いがあります。


「サタン」の関わりです。


「サタン」は、巧妙に私たちの頭の中に入り、心の中に入り、「聖書解釈」を「神様」が意図していることと違う内容を「正しい解釈」と思わせます。


私の「聖書」に関する正直な「見解」というよりは「感覚」は、おびただしい「サタン」が「聖書」にまとわり付いている、というものです。


だから、「統一原理」や「御父様の御言葉」をよく参考にしなければならないと思います。


新しい「真理」である「原理講論」がこの地上に現されているのすから「統一原理」や「御父様の御言葉」を参考にしながら、逆行するような「聖書研究・解釈」は気をつけたほうがいいと私は思っています。


「聖書カルト」の怖いところは、『「無自覚」に「解釈」を信じ込む』です。


90%正しいと思われても10%のところで、巧妙にずらされてしまうという恐ろしさがあることを知るべきです。


サンクチュアリー教会の一郎さんという方が、タイトル「イエス様をさげすむ者の叫び!!!!!」で、


>「顕進様」は、実際殺されていないのに、「殺された」と断定していますが、
霊的にすでに死んでいるわけです。(死人はファリスに任せろです。)


「一郎さん」は「霊的にすでに死んでいる」と断定されていますが、肉的にも霊的にも、死んでいると思えません。


「まず、神の国と神の義を求めなさい」マタイ福音書6:33


を益々、実行されています。


「聖書解釈」の怖さを思いませんか。


『メシヤの立場ではなく、教会の指導者として任命された「亨進様」』が、いつの間にか、その「聖書解釈」や「御父様の御言葉」を改竄(かいざん)されて、「第二王」になられたのでしょうか。


そもそも、「第一王」である「御父様」を「十字架」にかけたのは、「お母様」と『「第二王」と主張されている「亨進様」ではなかったのではないかと私は思っていますが。
投稿「亨進様が御父様をサタンに売り渡した瞬間!!」をお読みください。


「御父様」の真似をして、「聖書」に没頭すると、「サタン」に取り込まれますよ!!



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