お母様の御聖婚に関する二つの説
No 49 「お母様の御聖婚に関する二つの説」2016-03-26
以前、「第四イスラエル研究会 公式ブログ」のタイトル「【どこが正しいの? 三つ巴の祝福式??】4、真のご家庭も、条件的祝福の基準と同じ?!」をなにげなく読んでいたら、
『この原稿は4研教理担当・Peter氏の個人的見解です。』
「原理的観点からは、現在の“真のお母様”とお呼びしている韓鶴子女史が、洗礼ヨハネの妹の立場でお生まれになっておられなかったことは明らかです。キリスト教の失敗ゆえに1954年に統一教会を立て、文先生が40歳になられて急遽選ばれた方が韓女史でした。しかも、その前日までは庶子として後に誕生された朴サムエル氏の母である崔淳華女史が選ばれ、ウエディングドレスまで彼女の体格に合わせて準備されていたにもかかわらず、どういう訳か花嫁候補が変更されて韓鶴子女史になったのでした。
(一説では花嫁候補の熾烈な争いがあったと言われています。この件は別のシリーズで詳細に説明したいと思います。)」
と書かれています。
「しかも、その前日までは庶子として後に誕生された朴サムエル氏の母である崔淳華女史が選ばれ、ウエディングドレスまで彼女の体格に合わせて準備されていたにもかかわらず、どういう訳か花嫁候補が変更されて韓鶴子女史になったのでした。」
という情報は、「ほんとなの?」と思わず思わざるを得ない初めて知る、ちょっとショッキングな内容でした。
投稿日が、2015/11/04 (水) ですので、ちょっと前ですね。
最近、別件で、ネットで調べていましたら、
2015年11月05日(木)に、「ちゃぬの裏韓国日記」でちゃぬさんが、お母様の御聖婚についての経緯についていくつかの証しを紹介されていました。
「第四イスラエル研究会 公式ブログ」の投稿を読んで、その件に関して投稿されたのかは解かりませんが、タイトルは「真の母候補の崔淳実が去った後、いつ頃、韓鶴子が選定されたのか」です。
お母様の御聖婚は、二つの説があることになります。
1.前日まで、崔淳華女史(朴サムエル氏の母親)が、御父様の花嫁候補であった。
2.聖婚式の1ヶ月前にお母様が、御父様の花嫁候補となられた。
と言うことです。
崔淳華女史は、「崔淳花」女史のことです。
しかし、1.の情報は間違いのようです。
『残念ながら、私の父(文教祖)の過度な性欲のために、他の女性との意図していない妊娠が数回おきてしまい、私の父(文教祖)に向けた私の叔母(崔淳実)の信仰は徐々に弱くなって、最終的に彼女は1959年後半の公式的な約婚後にすぐに統一教会を去ってしまいました。(中略)
彼は「天の予定」を守って1960年の春、彼は40歳になるときに結婚しなければなりませんでした。統一教会の信徒たちは40数が重大な宇宙の重要性を持つと信じて、彼は短い時間で花嫁を見つけなければなりませんでした、約4ヶ月内にです。』
(文教祖の隠し子「朴サムエル氏」の講演)
から、崔淳実女史は、1959年後半の公式的な約婚後にすぐに統一教会を去ってしまったということで、去らなければ、崔淳実女史が、第3のお母様となられていたと言うことですね。お母様は、崔淳実女史の代わりに、御父様の花嫁に立てられたということが、お母様が「第3のお母様」となられた経緯と思われます。
崔淳実女史と「朴サムエル氏」の母親「崔淳花」は、姉妹で、
「第一のお母様」: 崔先吉女史のいとこになります。
「朴サムエル氏」の母親「崔淳花」の姉の「崔淳実女史」が、御父様の花嫁候補となっていたと言うことです。
「朴サムエル氏」の母親「崔淳花」女史が、御父様の花嫁候補になっていたというのは、間違いです。
また、
「第一のお母様」: 崔先吉
「第二のお母様」: 金明熙
「第三のお母様」: 韓鶴子
ですが、金明熙さんは、御父様と婚姻はされていません。
「ちゃぬの裏韓国日記」タイトル「文鮮明教祖は実は不倫していたのに三回結婚したと信者に嘘を教えていた統一教会」に書かれているように、
1953年12月24日 金明熙が釜山影島の修練会に参加し、その日に文教祖と肉体関係をもつ
1954年5月 1日 統一教会創設
1955年5月11日 梨花女子大生14名が統一教会への信仰を理由に退学させられる
1955年6月24日 金明熙妊娠9ヶ月。姦通罪を恐れて釜山港・長崎経由で日本に密入国させる
1955年7月 4日 梨花女子大事件で文教祖が逮捕される
1955年8月17日 金明煕が日本で文教祖の息子の喜進出産
1957年1月 8日 崔先吉夫人との離婚成立
ということで、
金明熙女史が「第二のお母様」というのは、お母様を「第三のお母様」と3数という原理数の「真の御お母様」とするために考えられたことではないでしょうか。
また、金明熙の息子・喜進様を御父様が息子として認知されたため、婚姻されていなくても、「第二のお母様」とされたのかも知れません。
ちなみに、金明煕女史と「朴サムエル氏」の母親「崔淳花」女史は三位基台で、
金明煕女史に関しては
・1953年12月24日 金明熙が釜山影島の修練会に参加し、その日に文教祖と肉体関係をもつ
・1955年8月17日 金明煕が日本で文教祖の息子の喜進出産
崔淳花女史に関しては、
・『『私の母(崔淳華)と文鮮明師との関係は、文鮮明師が(当時高校生だった)17歳の母を強制的に犯し彼女の処女を奪った1953年から始まりました。』
(文教祖の隠し子「朴サムエル氏」の講演)
・崔淳花女史は同じく不倫の関係で1965年に文教祖の息子を産みましたが、その息子を側近の朴普煕氏(36家庭)の息子(朴サムエル氏)として育てさせます。
と言うことで、お二人とも、1953年に御父様と関係をもたれているという事になります。
崔淳花女史に関しては、1965年に御父様の息子とされている「朴サムエル氏」の出産されていると言うことですので、「韓鶴子お母様」が御父様と御聖婚されたあとに、御父様は、崔淳花女史と関係を持たれているということになります。
「真の御子女様」の誕生年
・文 誉進 1961年
・文 孝進 1962年
・文 仁進 1965年
・文 興進 1966年
となっています。
仁進様と朴サムエル氏の証がありますが、同い年なんですね。
私は、以下の洪順愛大母様の証しに関心を持ちました。
『(お母様が)十七歳になった時、ちょうどエバの年齢ですが、「文教主の相対者が現れた」と、あらゆる霊能者が騒ぎました。しかし三月一日(陰暦)の約婚式の日が近づいても、相対者がいないのです。真のお父様も天も、あせっておられました。摂理として子羊の婚宴をしなければなりません。(中略)それから毎日毎日、啓示が来ました。三月一日(陰暦)の約婚式は決まっていましたが、相対者はまだだれにも決まっておらず、私だけが知っていました。(中略)それで真のお父様は、「お前の娘をすぐに連れてこい」と私に言われたのです。そして教会で真のお父様と対面がありました。真のお父様は、そこで心の内面的なものを調べられたのです。九時間もそこに座り続けで質問されました。私は真のお母様が大胆に答えられる姿を見て、その芯の強さにびっくりしました。
真のお父様は「きょうからあなたに良い家庭教師をつけてあげましょう」と、真のお母様に言われ、私を外に出し、崔元福先生を呼ばれました。それから三月一日までの一か月間、真のお母様は崔元福先生に侍りながら暮らしました。食事の時、崔元福先生とお母様が食べているのを見て、みな「あの子はだれだろう」と言い合っていましたが、信仰のある人たちは「あの方は意味のある方に違いない」と思っていました。
三月一日(陰暦)に約婚式を行い、三月十六日(陰暦)には、昼と晩の二回聖婚式がありました。』
(洪順愛大母様の証 1973年12月21日 東京教会(「続・清平特別祈祷修練会の手引き」より))
上記の「洪順愛大母様の証」に、御父様のある御言葉を合わせると、
なぜ、御父様が洪順愛大母様に
「お前の娘をすぐに連れてこい」と私に言われたのか、
「それから毎日毎日、啓示が来ました。三月一日(陰暦)の約婚式は決まっていましたが、相対者はまだだれにも決まっておらず、私だけが知っていました。」
とあるように、洪順愛大母様は、なぜ、知っておられたのかが解かるのではないかと思います。
ちゃぬさんが、
「統一教会の信者の証での「夢」という表現の中には「文教祖とのセ*クス」の隠語として使用する場合があるので注意して読んでください。
洪順愛大母様も統一教会に入信する前、腹中教信者だったとき平壌(安州ではない)で文教祖の夢を二回も見て、すでに文教祖の顔を知っていたといいます。」
と言われていることは、御父様とお母様の関係を知る上でとてもヒントとなります。
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「御父様とお母様の関係」は、これから、毎週土曜日に投稿する「投稿」で明らかになってきます。
「第一のお母様」: 崔先吉女史との「ご夫婦の破綻」の「蕩減」が、「真の父母」と「真のご家庭」を複雑なものとしてしまいます。
そして、「サタン(天使長ルーシェル)」に「真の父母」および「ご家庭」に入られてしまうチャンスを与えてしまったと思われます。
サタン(天使長ルーシェル)が、そのチャンスをものにして、1970年に「真のご家庭」に入ることに成功してしまいました。
「サタンが私の家庭に侵入することさえ許可しなければならなかった。」
鮮明師御言選集Vol. 312 P179~181, 1999. 10. 15. (ウルグアイ)
お母様が、その「サタン(天使長ルーシェル)」を「復帰」「主管」しなければならなかったにも関わらず、何もしなかったために、御父様は「サタン」が「真のご家庭」を傍若無人にめちゃくちゃにしても、手を出すことが出来なかったと思います。
「そうだよ。ありとあらゆることが起きたよ。孝進を見るたび、孝律(ピーター金)の顔を殴りたくなる。あいつめ。「あいつを殺してやる」と息子皆が言ったよ。孝進は「殴り殺す」と言っていた。顕進も国進も皆、「あいつら、殴り殺してやりたい」といった。あの者たち。だれも信用ならない。」
鮮明師御言選集Vol. 312 P179~181, 1999. 10. 15. (ウルグアイ)
お父様が、介入できなかったことは何であったかということを推測するならば、「介入することが出来ない決定的なことが、お母様と「サタン(天使長ルーシェル)」の間に起きてしまった」ということではないかと思われます。
次の投稿で、「御父様とお母様の関係」に韓国に流れる「性文化」が大きく関連していることがわかってきます。